2021/12/09
わたしにできるアクションをする。放置竹林から第一産業の価値を伝えたい【Hinel 山中裕加】
※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。
このマガジンは、様々な形で暮らしに「ハタケ」を取り入れている人やその暮らしの紹介を通じて、自然と自分の双方を愛せる生き方を紹介するメディアです。
建築学を日本とイギリスで学び、不動産開発系の企業に就職。「まち」に関心をもち、ずっと「まちと人の接点づくり」にたずさわってきた山中裕加(やまなかゆか)さん。裕加さんは現在、愛媛県西条市で放置竹林を活用した製品づくりに挑戦しています。放置竹林の整備の際に採れるタケノコでレモン味のメンマ、『メンマチョ』を開発し、地域の人を巻き込みながら放置竹林問題と食卓をつなぐきっかけ作りをしている裕加さんにお話を伺います。
「まち」は誰がつくるのか
ハタケト:はじめに、裕加さんの経歴などを教えてください。
裕加さん:生まれも育ちも愛媛県松山市です。大学から上京して理工学部建築学科に進学した後、まちづくりに興味をもつようになりました。さまざまなプロジェクトを経て、愛媛県西条市に2019年に移住しました。
学生時代から異なる文化にも興味があり、長期休みなどはよく海外の都市を訪れていました。ある時、インドの西にあるジョードブルという都市を訪れる機会があったんです。ブルーシティと呼ばれている、壁が青く塗られた美しいところで、何でこんなにきれいなんだろう?と気になって調べてみたんです。そうしたら、このまちが青いのはおしゃれのためでも誰かが設計したのでもなく、ただ日焼け防止のために人々が青い塗料を塗っていただけだったんです。まちの景観は人の営みの「結果」として生まれるものなのかもしれない、とハッとした出来事でしたね。
裕加さん:それからは、どうやって人々が地域を作っていくのか研究する都市論に興味をもつようになりました。日本の大学院やイギリスの大学院留学中には、戦後復興期のロンドンの再生について研究したり、帰国後は、まちをつくるルールである不動産を学びたくて、不動産開発の会社に就職しました。不動産活用の企画設計業務のかたわら、自治体と組んで地域づくりに関わるような仕事をしていました。その後独立をして、いわゆる「まちづくり」とよばれる案件に関わることが増えたんです。
人生を変えた締め切り前の3時間
ハタケト:では関心があった「まちづくり」を仕事にすることができたのですね。
裕加さん:そうかもしれませんが、仕事をする中でどうしてもモヤモヤすることがありました。あるとき、地方創生の一環である移住促進プロジェクトに関わることになりました。その時に、人工流出や過疎化が進む消滅可能都市に移住者を増やすことが目的になっていることに、ちょっとした違和感を感じたんです。
目標の移住者数を達成するためにいろいろな施策を行いつつも、単に新しく移り住んだ「人数」だけが本当に解決になるのか、確信がもてずにいました。
わたしは、まちはその地域の住人の意思が積み重なった先にあるものだと考えていたので、単に移住者を増やすだけでなく住民を巻き込むことが先なのではないかと感じていたんです。
そんな経験から、地方創生が叫ばれる「地方」とは何のためにあるのだろう、と根本から疑問をもつようになりました。
ハタケト:それからローカル寄りの活動をされるようになったんですか。
裕加さん:東京にいる必要もなくなり、よく地方を訪れるようになったら、東京で1ヶ月暮らす家賃や生活費と、色々な地方を回って生活する費用が変わらないなと気づきました。バックパッカーの経験もありましたし、もっといろんな地方を周りたいと思い、東京を出て、無拠点生活をしたり、業務委託の仕事を続けながら、地方や海外などでワークアウェイ(※)をしながら転々としていました。
(※Workaway:ボランティアワークを提供することで、宿泊場所と食事を受け取る世界規模のプラットフォーム。農園経営者がホストになることも多い)
地方では、たくさん面白いものに巡り合いました。誰も手をつけてない魅力的な資産もあり、東京で出会った優秀なクリエイターさんたちと地方に眠っている面白いものをマッチングさせるようなことをやりたいと思うようになったのもこの頃です。
ただ、一般的に保守的だと言われる「地方」において、突然現れたよそものをすぐに受け入れてくれるほど甘くはありません。地方で活動するためには、無拠点生活ではなく、どこか拠点を構えて暮らし、本腰を入れる必要があると思うようになりました。ある日、地方での起業支援プロジェクトの募集ページを見つけたんです。起業したい人が集まり、地方の課題に向き合い事業として解決していこうというもので、行政と一緒に取り組むという点に惹かれました。見つけたときは募集締め切り3時間前。慌てて応募して、運よく合格できたため、2019年に西条市に移住しました。
その土地に根をはったからこそ見えた、地方の役割
ハタケト:締め切り3時間前応募とは行動力がすごいですね。色々な地方を回る中で西条市を選ばれたのはなぜでしょうか?
裕加さん:実は西条市は祖父母の家がある場所で幼い頃よく訪れていたのです。一筋縄ではいかないことも多い地方で、現実から逃げないためには、自分が好きな場所、守りたい場所に拠点を置こうと決意したんです。そこで思いついたのが西条市でした。両親が共働きだったのでよく祖父母の家に預けられてたのですが、近くにある里山をかけまわって遊ぶのが楽しかったんですよね。大人になって帰省する度に田畑は少しずつ荒れて、川の水量も少なくなるといった変化を感じていました。この変化に対して何か自分が取れるアクションはないのかなと考えるようになりました。
実際に拠点を構えて西条市に暮らすようになったら、地方の役割を実感するようになりました。地方の役割って、第一次産業だと思うんです。地方の資源は都市にとって欠かせないものだな、と。
東京にいたときは遅くまで働いて牛丼を食べ、終電で帰るような生活をしていたので、なかなか農業のことや、山や水資源など、自然のことと自分の生活の接点を感じることがありませんでした。でも実際に地方に暮らすと、人工林などの山の環境と水資源の関係など、自然環境が自分の生活にどうつながっているのかが少しだけ見えるようになってきました。
例えば、西条市は水資源が豊かなところで、繊維工場や飲料品水の工場など水源を生かした産業誘致をしてきたまちです。その水源や地形・気候を生かして農業も盛んです。西条市に暮らすようになって第一次産業に関わる方たちのすごさも実感するようになりました。農業を手伝ったり家庭菜園をしているのですが、もう死ぬほど大変で、でもスーパーで売られている農産物は驚くほど安い。もっと農家さんに敬意を払って、高い価格で売られないといけない、と感じるようになったのは、自分で経験したからこそだと思います。
身の回りにある製品やサービスの背景に豊かな自然の恩恵とそれに携わる人を感じるようになり、地方の役割の一つとして一次産業を担うこと、そして、そのためにはそれを支えている自然資源を守ることが必要なんだな、と考えるようになりました。
未来をつくるのは、あなたであり、わたしである
ハタケト:西条市の資源を守ると決められた中で、放置竹林問題に着目したのは何かきっかけがあったのでしょうか。
裕加さん:西条市の豊かな水資源を守りたいと思ったときいくつか選択肢がありましたが、例えば林業の分野は流通規模やその他の慣習的に個人で介入するにはハードルが高かったんです。一方で竹林は、竹を切って自分たちで加工できたり食べることもできます。すぐにアクションを起こしたいと思っていたわたしにぴったりでした。
最初は竹を使った消毒スプレーなども考えていたのですが、商品に関われる人が多いというポイントから、タケノコを採ってメンマを作れば良いのでは、と方向性が決まりました。そうして放置竹林問題を食べて解決する「メンマチョプロジェクト」が始まったんです。東京のクリエイターチームと協働して、瀬戸内レモン味のメンマが誕生しました。
メンマチョが問題提起となって、放置竹林の問題の認知度をあげたい。このプロダクトで放置竹林問題を解決することよりも、限りある資源に対してのみんなの意識を高めることを大事な目的と考えて取り組みました。
ハタケト:なぜ、資源に対するみんなの意識を高めようと思ったんですか。
裕加さん:わたしは「未来を作るのは、あなたでありわたしである」といつも思っています。やっぱり誰かに言われて行動するのと、本人に意欲があって行動するのでは、産み出すものに違いが生まれるんですよね。各地を回って見て、まちは人の意思の積み重ねだと知っているからこそ、問題に関心をもつ人、自分で住んでいる地域にアクションを起こせる人の母数を上げることが大事だと考えていたんです。
活気があるアジアのマーケットのような、人々の暮らしに根付いている雰囲気が西条市にもあると楽しいと思うんです。でもわたしの想いを押し付けても、住人の皆さんに意思がなければ活気は出ない、そこに暮らす人が生き生き活動することでないと意味がないと思います。
ハタケト:裕加さんのお話を聞いて、「メンマチョプロジェクト」自体が町づくりのひとつの手段なんだなと感じました。とはいえ、食品の開発は未経験の分野ですよね。どのように進めていったのでしょうか。
裕加さん:メンマチョを作ろうと決める前から参加していた竹林整備のボランティア団体があるんです。最初に、メンマをつくりたい、と話した時はあまり反応はよくなかったんですが(笑)それでも諦めず、手伝ってください、と伝えていきました。不動産業界で働いていた時も現場の人と関係性を作って懐に入ってから依頼していたので、その時の経験が役に立っているのかもしれません。
住んでる地域が楽しい、と思えるように
ハタケト:今後の目標を教えてください。
裕加さん:自分の住んでいる地域が楽しくなるような循環をつくりたいですね。結局まちって、誰かが楽しくしてくれる訳ではなく、暮らしている人や関わっている人が積み上げて行くしかないんですよね。当たり前ではありますが、大事にしたい考え方です。
わたし自身、移住してきた頃、することがなくてつまらないと感じることもありました。でもせっかくなら自分が住む地域を楽しめた方がいいので、その第一歩として場づくりを考えています。
具体的には、小さくても「楽しみ」を生み出す人たちが集えるような物販・飲食・宿泊・オフィスの複合施設の開業を進めています。途上国で日々生きるために一生懸命働く人たちを見て思ったのは、いろんな苦労をしながら生業をつくっていくことの大切さでした。いろんな変化がある時代だからこそ、自分でイチから稼ぐって大事だと思うんです。そろばん叩くだけじゃなく、現場に人がいて何かを生み出しているから、まちが楽しく続いていくようになる。わたし自身、メンマチョで大儲けしようとかあんまり考えてなくて、ただ毎日ちゃんと生きて、前向きに暮らしている人たちと一緒に楽しく生きて、楽しく死にたい。そう思っています。
(インタビューはここまで)
人々が熱狂して意思を積み上げれば、楽しく暮らせる町ができる。西条で新たな挑戦に向かって突き進まれている裕加さん。裕加さんの挑戦が新鮮に映った方も多いのではないでしょうか。決して簡単な道ではないけれど、批判する声があっても、信念を貫きプロジェクトを達成させた裕加さん。たくさんの裕加さんの愛がつまったメンマチョ。お話を伺いながら食べたくなってしまいました。きっとメンマチョを手に取ったとき、西条の風景や農家の方たちの表情が自然と浮かんでしまうことでしょう。これから先裕加さんが関わる町はどんな風に変わっていくのでしょうか。とても楽しみですね。