※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

様々な形で暮らしに「ハタケ」を取り入れている人やその暮らしの紹介を通じて、自然と自分、双方を愛せる生き方を提案するライフスタイルメディアです。

5月のテーマは「ハタケとこころ」

身体がSOSを出して初めて、想像以上に自分に無理をさせていたと気づいた経験はありますか。

今回ご紹介するのは、千葉県館山市に暮らす市來 知歩(いちき ちほ)さん。東京で会社員をしていた時に夫婦で同時にうつを経験したところから、自分たちらしい暮らしにご夫婦で向き合い、館山への移住を決意されました。

館山で畑付きのログハウスを購入し、会社員としてフルリモートで働きながら、畑仕事やガーデニングを楽しんでいらっしゃいます。また、時にはメンタル不調に悩む方の相談役もされているそう。今回は、心の葛藤のあった時代から、館山移住後に暮らしと心がゆるやかに変化していったお話を中心に伺いました。

自分に制限をかけていた幼少期

ハタケト:はじめに、知歩さんの生い立ちについて教えてください。

知歩さん:幼少期は、自分でやりたい、こうしたい、という欲が強い子どもでした。工作や絵を描くことが好きで、教育テレビの真似をして何かを作ったり、外でアリなど虫の観察をして遊んでいました。一方で周囲の価値観の影響を大きく受け、優秀でなくてはいけない、世間一般に言ういい子じゃないといけない、と自分自身にすごくプレッシャーを感じながら、真面目な子として育った感じがあります。

しかし、大学生になり自由に生きやすくなって、所属していた研究室での研究をきっかけに研究者支援というやりたいことも見つけられて、それが叶えられるベンチャー企業に就職もできたんです。

(会社の同僚だった夫の孝彬さんとは、価値観が似ていて話が尽きず、仕事終わりにオフィスで話していると気づいたら朝になっていたこともあったのだとか。とにかく一緒にいるのが心地よいのだそう)

生きる意味やすべきことを考える日々

ハタケト:以前はどんなお仕事でしたか。

知歩さん:新卒で2年半ぐらい働いたベンチャー企業は、会社のミッションに掲げていた内容に惹かれて入社したんです。領域は新卒採用支援だったのでダイレクトに研究者支援をしていたわけではなかったのですが、若い研究者という可能性を秘めた存在も応援できる可能性を感じました。

その会社で経験を積ませてもらった後、もっと自由に活動するために一度独立してフリーランスとして働きましたが、半年後にはスタートアップで正社員になりました。

(幼少期から共働きだったご両親に代わり、料理を作っていたという知歩さん。誰かのために作っておいしいと言ってもらえることに喜びを感じていたが、就職後には多忙になってその機会が減り、料理をすることへの楽しみも見出せなかったそう)

ハタケト:再就職されてからは、いかがでしたか。

知歩さん:最初のうちは創業したばかりの会社だったこともあり何でも任せてもらい、日々自身の変化を感じ、やりがいをもって働いていました。仕事の内容自体もとても楽しかったです。

しかし徐々に、本当にこの働き方でよいのだろうか、わたしは今楽しんでいるのかな、と疑問に思うことも出てきました。

ちょうどその頃、毎日コンビニ弁当だった同僚にランチを作って喜ばれたことがあったんですが、こんなことに時間を使わずに仕事しなくちゃいけないのでは、と思ってしまいました。その時に、仕事としてスペシャリストになることが求められているけれども、わたしはただ目の前の人の役に立ちたいんだ、と気づいてハッとしました。

ハタケト:会社で求められることと、やりたいことの乖離がどんどん大きくなっていったのですね。

知歩さん:そうですね、同じ頃にガンを患っていた祖母を緩和ケアで看取ったこともあり、生きている理由を考えることも多くなりました。その頃、同僚だった夫と意気投合して一緒に住み始むことになり、自分が生きる意味がひとつ増えた一方で、会社ではうまくいかずにミスが多くなり、感情の乖離が増えると同時にどんどん体調が悪くなってしまったんです。何が原因っていうのは本当に難しくて言えないのですが、徐々に溜まったモヤモヤが爆発した感じでしたね。

夫婦でうつ。死を考えるほどのどん底の暮らし

ハタケト:体調が徐々に悪くなっていってから、ご自身がうつだとすぐに気づいたのですか。

知歩さん:いえ、すぐには気づきませんでした。仕事のミスや物忘れが増えたことから始まり、何をやっても楽しくない、食欲もない、土日も起きたくない、という症状も出始めましたが、祖母の死のこともあって気持ちが落ち込んでいるのかな、仕事の疲れがたまっているのかな、程度に思っていました。

(陽ざしを感じるのが辛かった時期もあったそう)

知歩さん:体調が悪くなり続け、ついには左半身が硬直して動かない、涙が止まらなくなり、心療内科に行くとうつ病の診断を受けました。時を同じくして夫も、仕事やわたしのケアで徐々にプライベートがなくなっていき、寝れない、やる気が出ないという症状からやはり心療内科でうつと診断されたんです。

ハタケト:ご夫婦で同時にうつとはとても大変だったと思いますが、その頃はどのような暮らしだったんですか。

知歩さん:一言でいうとゾンビ生活でした。部屋のカーテンは閉めっぱなし、食べず、お風呂にも入らず、薬だけはお互い見張って飲むような。一緒に下り坂を下っていってしまい、一番しんどい時には夫は自殺未遂までいきました。それを一番間近で見たことで、今日を生きられるか分からない生活の中で、1日を生きたことがいかに大事かと感じるようになったんです。

ふたりで決めた。「いつか」を今こそ

ハタケト:半年ほどの療養生活を経て病気が回復されてから移住されたとのことですが、移住はいつから考えていたのですか。

知歩さん:もともとうつになる前から、地方に住みたいねという話はしていました。わたしは田舎生まれの田舎育ち、夫は大阪の都会で育ったので田舎への憧れがありました。うつからちょっと元気になった時に、環境を変えないと変わらないね、という話になったんです。

今日1日を生きていることが本当に大事だと思えたことで、理想の暮らしを「いつか」ではなく「今」しようと選択しました。

(ベジブロススープを作ったり、コンポストにしたり、料理をしていても捨てるものがない)

ハタケト:なぜ館山に?

知歩さん:温暖で海も山もあるところが良く、義理の姉とのゆかりもあって館山に決めました。古民家を改修した素敵な場所でのパーマカルチャーに関するイベントに参加して以来、古いお家に住みたい気持ちがあったんです。館山で購入を決めた物件は地元の不動産屋さんが畑付きの中古のログハウスを見つけてきてくれ、DIYなど自分たちで工夫して住み心地をよくしていくことへの憧れもあったことから、即決しました。小さい頃から宮崎駿監督が描くジブリの世界観が好きだったので、その影響もあったと思います。

(「メンタルがしんどかったら遊びにおいでよ、気分転換に」と知歩さんが声をかけると、一週間ほど泊まりに来る方もいるというログハウス)

暮らしも人生も、自分でつくっている実感

ハタケト:館山に移住されてから、どのような変化がありましたか。

知歩さん:劇的な変化というよりも、徐々に体調も気持ちも変化していきましたね。例えば、日が昇ってまた落ちるという一日の中での自然の移り変わりを感じたり、夕陽の見え方が毎日違うというちょっとした変化、夜はしっかり暗いため、朝は明るい日差しで身体のスイッチが入るといったような変化です。夫との会話も、今日は月が欠けているね、○○さんちからもらった大根は今が旬だね、おいしいね、ということが話題になるようになりました。今は理想としていた自然の循環の中で生きるという暮らし方が実践できている、とても心地よい感覚でいます。

循環の中で生きたいと思ったのは、ジブリの世界観の影響があったり、大学時代に農学部で生態学を専門に学んだことで、自然とは循環で成り立っていて、人間もその一部であるという知識もあったからだと思います。人間社会の中で生きていると、自然の循環が見えなくなっていたのですが、ここに来て改めて、わたしは自然の一部なのだと気づくことができました。

(知歩さんの好きなジブリの世界を感じる風景)

知歩さん:東京で働いていた頃は人から承認されないと自分を肯定できないところがありましたが、館山に来て自分の人生を自分でつくっている実感がもてたことで、他人からの評価が気にならなくなりました。

ご近所の、とてもきれいなお庭のある家のおばあさんにも影響されています。ガーデニングを習いに行った時に「好きにしたらいいのよ」と言われたんです。「○○さんちは大きく植えるのが好き、●●さんちは小さく植えるのが好き。好きにしたらいいじゃない」と仰っているのを聞いて、「あ、わたしの家の庭だから好きにしたらいいんだ、他人からとやかく言われる必要はないし、他人からの評価を気にする必要もない、自己満足の世界でいいんだ」と気づいた瞬間でした。

(ご近所の方の野菜栽培の知識は知歩さんにとって知らないことばかりで、「農学部出身なのに知らないの」とからかわれることもあるが、そんな会話も心地よい)

ハタケト:最後に、知歩さんの今後についてお聞かせいただけますか。

知歩さん:自分が満たされはじめると、過去のわたしと同じような苦しいうつの経験をしなくてもすむように、生きづらいと感じている人の心のケアがしたいと思うようになりました。うつはわたしにとって人生を改める経験ではあったけれども、自殺を含めると死を身近に感じる病気であり、死が迫るまでいかなくてよかったと思う気持ちが強くあります。今日1日を生きることがいかに大事かと痛感したので、悩んでいる人に、ぼんやりとでもその方の新しい道を見つけられるような何かを提供できたらと思っています。

今メンタルが落ちている人もいらっしゃると思いますが、そんな方へ、わたしで良ければいつでも話を聞きますよ、一人じゃないですよと伝えたいです。

(インタビューはここまで)

笑顔がとても素敵な知歩さん。そんな笑顔の裏にあった、会社員時代の求められることへの葛藤や他人の評価を気にしてしまうことは、わたしも当てはまるところがあるなと、とても共感しました。苦しんできた知歩さんの、今日を生きられるか分からない生活の中で、1日を生きたことがいかに大事か、という言葉の重みをずっしりと感じました。苦しかった過去と活き活きと自然体で暮らす現在の両方の暮らしをお伺いし、自分の心を何より大切に過ごすことの尊さを教えていただいた取材でした。理想の暮らしをいつかではなく、今から始める、ということを、わたしも少しずつ取り入れていきたいです。

ライター/かしまあき 編集/やなぎさわ まどか 

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INFORMATION

市來 知歩(いちき ちほ)

市來 知歩(いちき ちほ)

千葉県館山市在住。元同僚の夫とは入籍半年で夫婦同時期にうつと診断され、休養生活を経験。回復を機に憧れていた田舎暮らしを決意し、自然の循環の中で暮らす。自身の経験から、メンタル不調に悩む方の相談役もしている。