2022/12/27
テンペに自分を寄せていく。心のままに歩んで出会えたローカルな食づくり
aiyueyoは、食や農業に関心をもち、仕事と暮らしをまるっと愛せるような生き方をしたい方々と手を取りあって歩んでいます。
「暮らしも仕事も抱きしめて」連載では、仕事と暮らしの心地良いあり方やバランスを選び、ごきげんに生きている方たち(愛ワーカーさん)にお話をうかがっています。個々人それぞれが理想として掲げている働き方・暮らし方の背景や、大切にしている価値観をご紹介します。
今回お話をうかがったのは、安藤あゆみさん。滋賀県近江八幡市で「木下実験室」という、地元の食材を使ったケータリングやお弁当販売を行っています(現在は育休中)。さまざまな料理の中でも「テンペを作ることが自分の生業」と言うあゆみさんに、なぜテンペなのか、そして、あゆみさんが料理を仕事に選んだ思いなどについて、教えていただきました。
「与えられる」から「創り出す」へ
── 現在、料理を仕事にされていますが、料理に関心をもったきっかけは何でしたか。
あゆみさん:きっかけは子どもの頃から関心があった環境問題です。大学では開発環境を専攻し、環境負荷を減らす生き方を探求するなかで、ヴィーガンという概念に関心をもちました。また、大学時代は好きな音楽の影響もあって、ヒッピーに関心が強かったんです。環境負荷を考えて、土と近い暮らしをし、ベジタリアンも多い。「ラブ&ピース」の価値観を目指し、自分の心に正直で、ポジティブな気持ちを原動力に活動する中で食や環境への関心を高めたヒッピーの人たちはすごくかっこいいと感じました。
あゆみさん:人それぞれ得意なことは違うので、自分がやりたくないことを好きな人もいて、それがうまくかみ合えば、人と争う気持ちがなくなり、究極的には世界平和につながると思うんです。
社会課題は、ネガティブな気持ちを抱えたまま生きる人の多さも関係していると思っていて、みんなが本当に好きなことに取り組める社会であるために、わたし自身も自分の心に素直に生きることを原動力にできたらいいなと思いました。
── それほど社会課題に関心をもったのはなぜですか。
あゆみさん:今振り返ってみると、恵まれた環境で育ったことが、ある種のコンプレックスだったのかもしれません。周りにも恵まれて、必要なものを与えてもらうことに慣れすぎていることへの違和感が大きくなるにつれ、ストイックな生き方に憧れるようになったんだと思います。自分の手で何かを生み出したい、という思いはいつの頃からか、自給自足への興味につながりました。
大学での学びと、ヒッピーや暮らし方への興味も後押しになって、誰の力も借りない環境に身を置いてみようと思い、大学卒業後はワーキングホリデーでオーストラリアへ渡りました。
誰かの役に立てる自分であるために
── オーストラリアではどんな生活をされていたんですか。
あゆみさん:WWOOFとして何箇所か回りました。電気もガスも水道もない生活を経験したり、チーズやパンなどが全て自家製の家庭やコミュニティなど、色々な暮らしの体験は、理想の暮らしをコレクションしていく感覚で楽しかった一方、自分自身の自給自足という夢は全く進んでいないと感じることもありました。WWOOFに入っていない期間は当時のパートナーと車で旅をしながらナショナルパークを歩く日々で時間がありあまっていたので、「自分の生き方は本当にこれでいいのか」と生きる意味を考え続けたり、少し鬱に近い状態の時もありました。
そんな中、精神的に健やかでいられたのが、WWOOF生活を終えて、ブドウ農園でアルバイトをしていた時なんです。農薬を使う農園でしたので、環境に配慮しているとは言い難い職場で健やかにいられることは自分でも不思議だったんですが、おそらく、しっかり仕事をして対価を得たことや、農園の役に立っている実感があったことが理由だと思います。
人の役に立つ行いは決して偽善ではないし、誰かの役に立てることは自分の糧にもなると気づきました。わたしにとっては、「誰かの役に立っていること」がないと生きていけないくらい、「ただ存在し続けるだけ」の状態はしんどかったんです。そしてそこに、自分の好きなことが入ってくることが大切だと感じました。自分の好きなことが、結果的に誰かの役に立つ。それが少しずつわたしの目標になっていきました。
あゆみさん:ちょうどそのタイミングで父から連絡があって、家業(農産加工関連会社)の手伝いを打診されました。自家製粉した滋賀県産無農薬米の米粉など、自社製品のアンテナショップを立ち上げるために、自分にできることがあると思い、帰国したんです。
家業を手伝いながらも土との関わりは続けたかったので、お米作りや野菜作りに挑戦しました。でも何年も関わるうちに、あまりにも思い通りにはできないので、自分には向いていないのではないかと思うようになったんです。何かわたしらしく畑に関われないだろうかと模索していた時に、今もお世話になってる小林ファームの小林めぐみさんと知り合いました。
少量多品目栽培の畑を、できる限り化学肥料や農薬に頼らず、目には見えない微生物たちのことも大事にしながらEM栽培で育てていて、本当に忙しそうにされていたんです。めぐみさんの力になりたくて、週1回畑のお手伝いをして、その対価には昼食や野菜をご馳走になる、というWWOOFのような物々交換でお手伝いを始めました。
めぐみさんの畑では、草刈りひとつでも役に立つことができる。わたしはわたしの関わり方で畑の景色を守りたい、と思うようになっていきました。
── 「あゆみさんの関わり方」とは、具体的にどんなことですか。
あゆみさん:農家さんは野菜を作るのが得意で、それはわたしにはできないことなので、わたしはその野菜たちのおいしさを伝える。おいしいと言って食べてくれる人がいることでわたしも料理ができるし、農家さんも安心して野菜をつくれたら、それは畑の景色を守ることに繋がります。
わたし一人でできることは限られてるかもしれませんが、それでも野菜をお弁当にすることで多くの人に届けられますし、農家さんの存在を知ってもらうことにも繋がります。地元のこんなおいしい野菜、どこで買えるんだろう?と気にする人が増えたら、わたしの役割も果たせているように感じられるんです。それに、野草とか間引き菜とか、普段あまり食べないものを体験できると、「これは農薬や除草剤を使っていたら食べることができないんだ」と気づくことになって、誰かの視野を広げることにも繋がりますよね。そうした活動を通じて、畑の価値を高めていきたいです。
想いをぶつけるより、きっかけのタネを撒く
── ご実家で米粉のアンテナショップを運営し、農家さんのお手伝いもする中で、テンペを作り始めたのはなぜですか。
あゆみさん:家業を手伝い始めてからもう一度オーストラリアを訪れた時に、すごくおいしいテンペをいただいたことがきっかけでした。たまたま選んだWWOOF先がテンペ生産者だったんです。
長い間ヴィーガンでしたので、以前もテンペを食べたことはありましたが、正直あまりおいしいものだと感じられず、自分にはテンペよりも豆腐があるから良いと思っていました。でもそのテンペは本当においしくて、毎日「おいしい、おいしい」と言いながら食べていたら、「日本で作りなよ。きっと売れるよ」と言われたんです。わたし自身がテンペはおいしくないと誤った認識をしていたからこそ、誤解を解きたいとも思いましたし、「こんなにおいしいものを知ってしまった以上は誰かに伝えなければ」と勝手に使命感を感じました。
仕事柄、農家さんとのつながりも増えていたので地元・滋賀産のおいしい無農薬大豆を手に入れられる確信もありましたし、家業として農産加工をしているので、発酵器などの道具が揃ってる環境もあり、「やるしかない!」と思って挑戦してみたんです。
実際に作り始めてみると、テンペ作りはすごく性にあっていました。わたしは飽き性なのでひとつのものだけを作り続けることにはすぐ飽きちゃうのですが、テンペは毎回うまくいくとは限らない。特に季節の変わり目などに失敗しやすく、テンペに自分を合わせていくことが必要なんです。大豆の茹で具合、温度管理、発酵器に入れるタイミングなど、自分が反映されるというか、ゲームを攻略するような感覚とも似ているかもしれません。難しいから悔しくもなるし、うまくできたらすっごく嬉しい。テンペ作りはわたしにすごく合うものだと思っています。
── あゆみさんのテンペに関するこだわりはどんなことですか。
あゆみさん:テンペに限らずお弁当づくりや、以前家業でお惣菜を作っていた時からずっと、いかにローカル度を上げられるかという視点をもち続けています。例えばオーストラリアで食べたビーツのサラダがおいしかったと思っても、地域のビーツが見つけられなければ大根で同じようにおいしく作れないかと考えて工夫する。作りたい料理をそのまま再現するのではなく、地元で育てられた野菜から作れないかを考える。テンペの原料にも「みずくぐり」という滋賀県の在来品種など、大豆の品種も考えながら使っています。土にも、琵琶湖にも負担が少なく、農家さんや生き物にも優しい商品作りを目指しています。
モットーは「うっとり・うっかり・エコ」であること。わたしが伝えたい言葉をそのまま押し付けてしまうと、今の時点で自然やエコに興味がない人には届かないので、「おいしく食べていたら知らずに環境にも良いことをしていた」という状態を演出するのが理想です。環境問題に触れるきっかけのタネをまき、その中で気づいてくれる人がいたらラッキー、という気持ちを大切にしています。
ありのままのわたしで自然と共に生きる
── 料理を仕事にすることは、あゆみさんにとってどんな意味がありますか?
あゆみさん:わたしにとっては、元から滋賀県にすでにある魅力を、食材を通して伝えている感じです。一度地元を離れて戻ってきたからこそ、改めて発見した地元の魅力や、当たり前すぎて気づかれにくい素晴らしいものを、できるだけ新鮮に見つめて、伝えようとしています。
味の根源的なことに興味があるので、あれとあれはエッセンスが似てるから組み合わせたら合うだろう、と考えたりして、枠にとらわれない料理をしています。料理の仕事というよりも、作家のものづくりに近いというか。料理ってレシピありきになりがちですが、そうじゃない楽しみ方があることを伝えたいし、もっといろんな食べ方をしてもいいんだよと伝えたくて、料理という形でお伝えしているのかもしれません。
「木下実験室」という屋号も、調理は実験なんだということを自分自身が忘れないようにするために名付けました。木の下で、自然と共に伸び伸びと好きなことを実験するイメージです。人も動物も木の下に集まって、そこがほっとする居場所になったら良いなと思っています。
── これから何か新しい挑戦はお考えですか。
あゆみさん:農業と同じような課題を抱えた琵琶湖の湖魚(こぎょ)に関することや、季節のシロップの増産など、やりたいことは色々とあるのですが、正直な気持ちとしては、未来のことはわからないでいます。
妊娠してから自分の考えが大きく変わってきているのを感じていて、産んだ後は今と全然違うことを考えているかもしれないと思うんです。今までは時間があれば畑に行ったりしていたのですが、その割合が減って子どものことを考える時間も増えています。きっと子どもに関連するようなイベント開催などは増えていくかもしれない。今はそんな想像をしています。
(インタビューはここまで)
日々変化する環境に寄り添い、そこにある要素を活かしながら暮らしているあゆみさんと出会い、無理しすぎずにありのままの自分でいいんだと思えるようになりました。子どもの頃から抱いていた環境問題を、料理という形であゆみさんが表現されているように、人や環境との巡り合わせで日々変化して、最適なものを見つけられること。「強みを活かした自分の役割を見つけたい」と考えて、手元にはないスキルを求めてしまうこともあったのですが、わたしも身近にある人や環境を大事にして、一歩ずつ進んでいこうと思います。