2020/08/25
コース料理の最後を飾るおいしすぎる苺は“ろくでなし”の生きがい詰まった革命だった【遊士屋 宮澤大樹】
※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。
このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。
今回お話をお聞きするのは、苺農園を運営する遊士屋(ゆうじや)株式会社の代表取締役である宮澤大樹(みやざわ・だいき)さん。三重県伊賀市の農園で働く社員の土居寛之(どーい)さん、溝辺明朗(あんちゃん)さんも交えてお話をお聞きしました。
遊士屋は、完熟クラフト苺ブランドの「BERRY」を国内・海外に送り出しています。また、農園では依存や障がい、精神疾患から回復した方々も働くなど農福連携の取り組みもしているのだそう。
正直に言うと「高級苺の生産と農福連携って両立するの?」と半信半疑でインタビューを始めました。ところが―。
食べる人に幸せを届ける農園は、働く人たちの思いが詰まった生産の現場でもありました。
人が触れたがらない社会課題にこそ向き合う
ハタケト:宮澤さんは遊士屋の共同創業者とのことですが、創業するまでにはどのような経緯があったのでしょうか。
宮澤さん:簡単にぼくの経歴をお話しすると、大学在学中からスタートアップや飲食の事業立ち上げにかかわるなど、事業開発バタケにいることが多かったです。直近だと、デザインファームで新規事業開発や企業間連携をしたりだとか。
遊士屋の創業期は、ちょうど色んなタイミングが重なったんです。ぼく自身、事業開発を支援する仕事をする中で、自分で事業をやらないと見られない領域があるなということをひしひしと感じ、独立したい気持ちが高まっていました。そしてその頃に、創業メンバーとの出会いがありました。
依存をはじめとした様々な疾患や課題からの回復・成長を支援する施設の創設者で、今はウェルビーイングに関わる活動をしている矢澤。熊本で苺農家を継ぎ、ハイクオリティな白いちごを精力的に輸出しながら、若い農業者の育成に励む森川。彼らの持つ志、技術、そして社会のためによいことをしていきたいという思いに惹きつけられました。
ハタケト:遊士屋では、農福連携に取り組まれているとのことですね。
宮澤さん:依存や障がい、精神疾患、うつ、ひきこもりなど色々な問題を抱えた人が、施設に入り回復したその先に、活躍の場を作り、やりがいのある生き直しをかなえる―。遊士屋の事業は、そんな社会課題の解決に農業が貢献するのではないかという仮説のもと始めたんです。
農業って、健康なライフスタイルになるし、命に向き合うから自分自身も成長する。心にも身体にもすごくいいんですよね。
それに、施設にいる人たちが回復・成長プログラムの一環として作っている野菜が、本当においしいものだったんです。
自分のもっている事業開発の知見、クリエイティブな経験を加えることで、生産の現場からつながるハッピーなバリューチェーンが実現するのではないかという、確信に近いものがありました。
苺って、「幸せの象徴」というイメージがあるじゃないですか。幸せな生産のプロセスで作られた苺を、日本が誇るクオリティや食文化的な価値とともに世界に出したいという思いがあって。だから遊士屋のミッションは、「世界にもっと、しあわせに気付く瞬間を。」なんです。
ヘタまで食べたくなる!? 苺農園との出会い
ハタケト:今日は実際に農園で働く社員の方にも参加いただいています。まず、あんちゃんさんにお聞きしたいのですが、どんなきっかけでこの農園で働くことになったのですか。
あんちゃんさん:わたしはもともと施設の支援を受けていて、回復後は施設でスタッフをしていました。その施設の紹介で遊士屋を知ったんです。
農園の初期の頃からお手伝いで来てはいたのですが、しばらくして農園の人手が足りなくなったタイミングで自分からお願いをして、本格的にここで働くようになりました。主に、農園の開拓や設備の整備、農具の修理を担当しています。
宮澤さん: あんちゃんがいてくれて、環境整備の部分までプロとして社内で内製化できているというのが、うちの農園の強みでもあります。
あるとき、畑を一気に拡大したのはいいけれどその時点でお金が尽きてしまい、「暖房機を買うお金がないぞ」となったことがあって。苺って暖房機がないと作れないんですよね。
たまたま地元のぶどう作り名人のおじいさんが引退するからと譲ってもらえることになったのですが、立派な暖房機ではあるのだけれど結構な年代物で動かなくて。あれ、話が違うぞって(笑)。
これはあんちゃんに直してもらうしかないとなってお願いしたら、試行錯誤しながらもなんとか直してくれたんです。
あんちゃんさん:わたしは車の整備士をしていたので、その経験を活かして仕事をしています。父も車修理をしていたのですが、「エンジンがついているものは何でもやれ」というような人でした。それで、わたしもある程度の現場の知識や経験はあって。でも結局は見よう見まねで、日々仕事をしているようなところもあります。
ハタケト:どーいさんは、どんなお仕事をされているのでしょうか。
どーいさん:ぼくは苺の生産・収穫・出荷まわりを担当しています。もうすぐここで働き始めて2年になりますね。
働き始めた頃に、一度両親が畑に挨拶に来たんです。畑を案内してもらったり、宮澤さんからぼくの働く様子を聞いたりして、嬉しそうに帰っていきました。
のちに、実家に苺を送ったんです。そうしたら、母がヘタまで食べてしまったっていうんです!あまりにおいしそうで、しかも息子が作った苺なだけに残さず食べたかったみたい。
宮澤さん:その話を聞いて、おかしくて。でも、お母さんがヘタまで食べたくなった気持ちは分かるような気がします。うちの農園の苺はご自宅へ直接お送りするので、朝に収穫したものが翌日の朝に届くんです。だから、まだヘタが逆立っている状態。見るからに新鮮なので。
どーいさん:この農園に来た頃のことがなつかしいですね。最初は芋虫を取る作業をしたんです。なるべく農薬を使わずに作っているから、どうしても虫がついてしまっていて。作業をしているうちに、なんだかすごく苗がかわいく見えてきたんですよね。
ぼくは、大学で宇宙・粒子の研究をしていたこともあって自然科学が好きなのですが、苗を見たときに葉っぱの放射状の形がすごくきれいで。太陽エネルギーを浴びて光合成をする姿を見て、宇宙を感じたというか。
そんな自然の美しさが、農園にはあります。人間が意図して作ったものとは違う、緻密さ、力強さ、奥深さがある気がするんです。それに惹かれて、一歩踏み込んでみようと思いました。
愛着あふれる苺の生産を極めたい
ハタケト:農園で働き始めたきっかけにも、それぞれドラマがあるのですね。ところでおふたりは農園で働くようになって、生活や気持ちに変化はありましたか?
どーいさん:農業をするようになって、生活自体が変わりました。今までは、仕事とは生活をするための手段、お金を稼ぐためにやっているという感覚で、だから好きではなくても我慢してやらなきゃいけないものだと思っていました。勤務時間は拘束されるものであって、仕事が終わってはじめて自分の自由に使える時間が始まるのだというふうに。
でも今は、農業中心の生活ですね。苺を作るのが好きで、どんどん極めたいんです。苺詰めのフィルムに「苺は、人と自然が創る芸術だ。」というブランドコンセプトが書かれているのですが、それを見るたびに、この言葉に負けない苺を作りたいと思います。あの言葉が嘘になってしまったら恥ずかしいから。
ハタケト:あんちゃんさんはどうでしょう。
あんちゃんさん:わたしは施設にいたときから野菜作りをしていました。教会などに野菜を売りに行くと、次第に同じ人が何度も買いに来てくれるようになり、「おいしかったよ、こないだのやつ。」と言葉をかけてもらえるようになったんですね。食べる人の笑顔が、苺作りをやりたいなと思う足がかりになったように思います。
苺は気難しい植物です。だから、正直苺作りの世界に入ることには怖さもあった。でもいざやってみたら、繊細だからこそ愛着も湧くというか、触れば触るほど愛着が湧いて。おいしいものができていると思えるときは、とても嬉しいです。
ハタケト:愛着と誇りをもってお仕事をされているのだなと感じます。この農園で働く自分たちのことはどう思っていますか?
どーいさん:サッカーチームみたいだなと思います。自分は収穫やパック詰めなど、いかにも苺生産らしい部分をやっているから、シュートを打たせてもらう役かな。それまでに、あんちゃんのように整備をしてくれる人がいたり、草引きをする人、水やりをする人がいたりする。
あんちゃんさん:わたしも、チームのように感じていますね。お互いができるところを出し合い、できないところは補い合うことで、全体としてうまく回っているようなところがあります。
どーいさん:ぼくも怒られることもあるし、助かったと言われることもあるし、もうちょっとこうしてほしかったと言われることもある。今も成長中ですね。チームとして、ときにぶつかりながらも成長中です。
“ろくでなし”チームで最高品質の苺を作る
ハタケト:これはみんなをまとめている宮澤さんにお聞きしたいのですが、なぜこんなにも社員の方々が生き生きと働けているのでしょうか。
宮澤さん:苺を食べてくれた人から、声が届くんです。純粋な感動が伝えられることが多くて。そういう声が届くたびに、やっぱり嬉しい気持ちになるじゃないですか。
実際に、ありがたい評価もいただいていて。ミシュランの星付きレストランのフルコースで、デザートとしてぼくたちの作った苺が一粒でドーンと出てきたら、それはもう嬉しいですよね。海外からわざわざうちの苺を買い求めてくれる人もいたりだとか。
社内のメンバーには、一度は人生を諦めたような人もいます。仕事で使えないと言われたり、つまはじきにされた経験があったり。そんな“ろくでなし”と言われたようなメンバーが、こんなにもおいしいものを作っているのだから、それってすごいことですよね。
本来、強みは誰しもがもっているもの。その強みに気付ける周りの人がいなかったり、そのベースに出自の格差があったりするからしんどい状態が生まれてしまっているのだと思います。
それぞれの強みを発揮できる場所を作って、それが適切に評価される仕組みを作ったら、どんな人でも回復したその先で、やりがいを見つけて生き直しができるはずで。そしたら生きづらさってなくなるんじゃないかな。
ハタケト:農福連携や福祉という言葉からは、「仕事が提供できればそれでいい」「役割を与えてあげている」というニュアンスを感じてしまうことも多いのですが、遊士屋のスタンスは、それらとは全く違うように思えます。生き直しをかなえる場所や仕組みを作るうえで、どんなことを大事にされていますか。
宮澤さん:逆説的にはなりますが、一番は、ちゃんとビジネスとして成立するようにすることです。農福連携だからといって自分たちがしていることを過小評価はしないようにしていて。しっかりと商品の価値を伝えながら、ビジネスモデルを作って収益化することを大切にしています。
根本にあるのは、農園でひとりひとりの強みを最大限に発揮してもらうことによって、世界に通用する苺が作れるんだという発想。このメンバーと、しかも世界を舞台にして勝負ができることに、最高にワクワクしています。
(インタビューここまで)
苺への愛着と誇り。そして、チームは誰が抜けても成立しないという自覚。これらを全員がもっているからこそ、「もうここの苺しか食べられない」と言わしめるほどの苺ができるのでしょう。
手をかけて作った苺が、評価されて高く売れる。社会で生きる喜びを畑で感じられる。そんな好循環な世の中が、ここ、遊士屋の畑から生まれていました。