2020/06/05

もう一度、心のこもった「いただきます」が聞こえる世界へ 「家畜写真家」というわたしの仕事【AKAPPLE 瀧見明花里】

※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。

今回お話をお聞きするのは「家畜写真家」として活動されているAKAPPLEさん(瀧見明花里(たきみ・あかり))さんです。あかりさんはその名の通り、家畜動物を専門に撮る写真家です。地元の北海道札幌に留まらず、日本全国飛び回って家畜動物の写真を撮っています。警戒心をまるで感じさせない、動物たちの自然で柔らかい表情を捉えたあかりさんの写真たちは、見ているこちらをとても和やかな気持ちにしてくれます。

(あかりさんが撮った家畜動物たち。)

しかし、どうして「家畜動物」という、ニッチとも言える分野に特化して写真家をされているのでしょうか。

そこには働く意味を考えさせられる深い理由がありました。

銀行からニュージーランドへ!脱ぎ捨てた固定概念

ハタケト:あかりさんは「家畜写真家」というユニークな職業をされていますが、いつから今の仕事を始めたのでしょう。

あかりさん:家畜写真家として活動を始めたのは2017年の8月です。もともと、一次産業に関心があって「農業系の仕事に就きたい」と、大学卒業後は第一次産業系の銀行に就職しました。当時は自分が転職をすること、ましてやフリーで働くなんて全く想像していませんでした。ここで終身雇用するものだと信じていました。

しかし、銀行内での人間関係がわたしには合っていなくて。1年ほど勤めた頃、友人がニュージーランドに行って、とてもよかったと言っていたのを思い出したんです。それで「わたしも行ってみよう!」と決意し、退職してニュージーランドにワーキングホリデーに行くことにしたんです。

(飛び出した先、ニュージーランド。)

ハタケト:それは思い切りましたね!

あかりさん:もう、いきおいで(笑)。でもこのまま毎日暗い顔をして過ごしていたくないな、とは心の中でずっと思っていたんです。

向こうに行ってからは、数多くのファームステイを経験しました。それはもう、カルチャーショックの連続で!

食事をするにも、炊飯器も電子レンジもいらない。服もニュージーランドの人々は全然こだわっていなくて。「自分がよければなんでもいいじゃん」というスタンスでした。この経験から、今までは必要だと思い込んでいたものの、世の中っていらないものっていっぱいあるな、と気づかされました。たくさんのお金がなくても暮らしていけるという実感をえたんです。お金より、自分がHAPPYに生きられるかどうかが大事だなと思うようになりました。

立ち会った、子牛の安楽死

あかりさん:カメラは大学の頃に趣味で始めていたので、ニュージーランドに行ってからはファームステイ先の動物たちをたくさん撮るようになりました。

ハタケト:それが家畜写真家というキャリアのきっかけとなったのですね。

あかりさん:もちろん動物たちを撮る楽しさをそこで感じたのもありますが、とある牧場での体験が仕事にしようと思ったきっかけをくれました。

わたしはその牧場で、牛さんたちに今日も異常がないか牧場の方と確認をしていました。ある日、丘の方の放牧地に行くと、そこに1頭の子牛が生まれていたんです。母親は近くにおらず、ひとりぼっちで、衰弱し動けなくなっていました。わたしは慌ててその子牛を腕で抱きしめて温めました。「なんとかして助けたい!」と思いましたが、オーナーに報告すると「残念だが、助けることはできないよ」と言われてしまったんです。

ニュージーランドでは、動物に助かる見込みがないと判断して時点で、できるだけ早く安楽死させてあげるべきだ、という動物福祉の考え方がありました。

オーナーの判断で、その子は射殺されました。

「いのち」についてはじめて深く考えさせられた経験でした。

「いただきます」を世界共通語へ

ハタケト:いのちを深く考えさせられたその体験が、どうして写真家になるという選択につながったのでしょうか。

あかりさん:わたしたちは家畜動物の「いのち」をいただいて生きています。だから、食べ物の背景を知ったり、考えたりする方が少しでも増えて欲しいと思うようになりました。

わたしは「いただきますを世界共通語へ」をコンセプトとして家畜写真家の仕事をしています。日本には「いただきます」という文化がありますよね。実り、いのち、生産者、調理者すべてのものへの感謝を表した言葉。わたしがニュージーランドにいるときに海外の仲間にこの言葉を紹介すると「すごく素敵な言葉・文化だね」と感動してくれたのを覚えています。でも、最近は日本国内でも言う人も減っているように感じます。

わたしの写真を見ることで、そこにあった「いのち」に思いを馳せて、食事をするときに、「いただきます」と言う人が少しでも増えたらいいなと思って活動しています。

ハタケト:「いただきますを世界共通語へ」とても素敵な思いですね。単に世界に広めたいということではなく、日本人の人にも、もう一度気持ちを込めてこの言葉を使って欲しい、という思いが込められているのですね。

(牛さんのヨリ。かわいらしい!)

4度の転職の末、とうとう見つけた天職

ハタケト:帰国後すぐに家畜写真家の活動を始められたのですか。

あかりさん:いえ、実際に活動を始めたのはその2年後になります。今伝えた思いも、帰国した時点ではまだ明確には描けていなくて、徐々に徐々にクリアになっていったものなんです。

1年3ヶ月のニュージーランド滞在から帰国後、まずわたしはやっぱり動物たちに触れ合う仕事がしたいと、北海道別海町の酪農家さんのところでボラバイトを始めました。

しかし、家庭の都合で地元の札幌に戻らなければならなくなりました。改めて札幌の企業に就職をすることになったのですが、なんとか動物たちと関わっていたいという思いがあったので、動物の病理検査を行う会社に就職しました。でもやっぱりやりたい仕事ではなくて。もやもやしていたところ、畜産業界の専門誌を出している出版社からカメラマン補助の求人募集があったんです。「これは自分にぴったりの仕事なのでは」と思い、転職しました。しかし、そこも足を踏み入れてみて自分のやりたいことは本当にこれなのか?と疑問に思い始めて。

ハタケト:どういうところが違うなと感じたのですか。

あかりさん:仕事は主に共進会という、牛さんの美少女コンテストにような会での撮影だったのですが、それは業界の人のためのものだったんです。撮影を重ねる中で、「わたしは、消費者の方に自分の写真を届けたいんだ、そのことを通じて子牛ちゃんの死から感じたことを世の中に伝えたいんだ。」と気持ちがクリアになっていきました。

どうしたら自分の思いを形にできるか、出版社時代はずっともんもんと考えていました。

ある夜、布団に入りながら考えていると、「家畜写真家」という言葉がパッと頭に浮かんだんです。「うわ、自分にしかできないことは、これだーーーーー!」と興奮し、そのまますでに名乗っている人がいないか、速攻でググりました。気持ちが高ぶって、その日は全然眠れなかったですね。

さっそくひらめきを今の夫にも話すと、「辞めて自分でやってみればいいじゃん!」と背中を押してくれました。これを機に独立を決意しました。

ただしいことをやっていれば、ついてくる

ハタケト:「家畜写真家」になられてからは、具体的にどんなことをされているのですか。

あかりさん:最初はSNSにあげて「家畜写真家です」と名乗り始めたのですが、当然すぐに仕事の依頼がくるわけもなく。ひたすら撮りためていたニュージーランド時代の家畜動物写真を投稿する日々を過ごしていました。

少しずつフォロワーが増えてきた頃、そういえば昔大学の先輩に「あかりの写真でカレンダーを作らせてよ」と言ってもらっていたことを思い出し、久しぶりに連絡をして、制作をすることになったんです。さっそくSNSで2018年カレンダーの販売告知をしたところ、なんと50部の問い合わせがあったんです。本当に嬉しかったですね。

その問い合わせの中のひとつに、「買いたんだけど、和牛の写真もぜひ入れて欲しい」というコメントがありました。そのときわたしは国内の畜産家さんへのツテは何一つありませんでした。ただ、やりとりする中で、その問い合わせをくれた方は鹿児島で和牛を育てている畜産家さんの息子さんだということが分かり、思い切って鹿児島まで和牛の写真を撮りに行かせてもらうことにしたんです。

(はじめて撮った和牛の牛さん。)

この撮影を機に、だんだんとSNSを通じて「わたしのところにも撮りにきてほしい」という問い合わせをいただけるようになりました。ただ、全国飛び回るような交通費がなかったので、クラウドファンディングを立ち上げました。その結果、全国40件以上の畜産家、酪農家さんの元に撮影に行けることになりました。ありがたいことに、知り合いの写真家さんに誘われ、写真展とトークライブをさせていただく機会やメディアに取り上げていただく機会にも恵まれました。

ハタケト:地道にSNSで発信をしていたところから、ご縁を通じてどんどん活動が広がっていっているのですね。とはいえ最初は食べていけるのだろうかという不安もあったのではないですか。

あかりさん:ニュージーランドでの生活の経験から、お金がなくてもゲストハウスに住み込みでアルバイトをすれば生きてはいける、と思えていたので大きな不安はなかったです。それに、周りに先に独立した方々がいて、その方々の姿から、「正しいことをやっていれば必ず結果はついてくる」という言葉をもらっていました。だから、折れることなく進んでこれたのだと思います。これからも自分のただしいと信じることを貫いて、少しずつ活動を広げていけたらと思っています。

(インタビューここまで)

自分にしかできないアプローチで、自分の信念を形にしていく。

そのあかりさんの働き方から、自分で切り開いていくお仕事のあり方もあるんだ、と勇気をいただきました。

今日の夕飯、いただきます、に思いをのせる方が増えたらいいな。

ライター/あべなるみ 編集/やなぎさわ まどか

INFORMATION

AKAPPLE 瀧見明花里

AKAPPLE 瀧見明花里

家畜写真家。
1991年生まれ、北海道札幌市出身。
全国・海外の牧場を訪れ、主に家畜動物の撮影を行なっている。