2021/04/30

農業がうつを治すわけじゃない。わたし自身が畑に救われたからこそわかる、春のこと【 畑の魅力伝道師 小池菜摘 】

※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

岐阜県中津川(なかつがわ)市の写真家百姓で、Koike lab.代表の小池菜摘(こいけ なつみ)です。畑の魅力伝道師の中では現在唯一の農家。畑に生かされている人間として、なにをお伝えできるかなぁ、なんてずっと考えながら、今日もいのちを愛でています。

ハタケト 、今。

4月、どこいった?
一生懸命生きてたら毎日が終わっていく、農家が一分一秒本気で過ごす時期。
畑仕事は毎日水やりするところからはじまって、とっても、はる。

(春一番に蒔いてできる葉物が一番きれい。)

苗もでき、雑草が生えはじめて、畑はにぎやかになってくる。
茶色一色だった風景から一変、桜や桃やシデコブシが咲き色付いて終わると、芽や葉や山々の名前も知らないあの子たちが「新緑」と呼ばれる命を噴き出し、そして虫がどこからともなく現れて電撃殺虫灯がバチンバチン言い始めるころ、命の強さに力をもらうのが春真っ只中の今なのだ。

2014年にこの地に嫁ターンしてきてからというもの、この今に何度だって救われてきた。
だって、都会にいた頃の春のわたしは、いつだって気を張っていて、強くあらねばと拳を握り締め、色々なことを我慢して、踏ん張り続けていたのだもの。

プレッシャーの春

(春の野焼きは循環のはじまり)

思えば幼少期からずっと、わたしにとって春はプレッシャーだった。
入学だって転校だって、進学だって習い事だって、なぜかしっかり4月からだった。新しいステージでなりたい自分をいつだってしっかり定めてから動き始めるタイプだからこそ、4月は毎年張り切りすぎて空回りする。五月病、なんて言葉はわたしのためにあると思っていた。疲れ果てて空虚をかみしめていた。
加えて、わたしのアトピーは春の花粉やPM2.5をきっかけに悪化を始める。ステロイドで誤魔化してなんとか踏ん張って4月をやり過ごし、5月に薬が効かなくなってくる。そうして6月は寝たきりになるのが身体の年間スケジュール。ストレスだって影響があったに違いない。
2011年3月に起こった東日本大震災をきっかけにうつ病になった、とは言うけれど、きっと毎年ずっとそうだったのだ。それがたまたま過去になかった大きな波だっただけなんだろうな、と今になれば思う。

自分に自分でプレッシャーをかけて、勝手に潰れていたのだなあ。

畑と出会ってから

2014年1月末に、岐阜県中津川市に引っ越した。
家庭菜園用畑つきの一軒家。
知り合いもいない、方言もいまいちよくわからない、仕事もないし、家事も苦手だ。
春になるまでは暇すぎて仕事のある夫をほったらかしてしょっちゅう大阪へ帰っていた。

そうして春になって、嬉しそうなおじいちゃんに習って夫が農業を一つずつ覚えていく中、わたしは相変わらずずっと孤独だった。

そこにあったのが畑だった。

(大阪から遊びに来てくれた友達のこどもと)

フラッとホームセンターへ行くと種や苗が売っている。お金もないし、畑も空いてるし。育てて食べられたらいいなあ、なんて思いながら食べたい子を買っては、畑にせっせと播く。
たいていは発芽すらしなくて「?」となったまま終わるし、食べられるものができたとしてもずいぶん小さかったり虫食いだらけだったり、こりゃあ農業ってのは大変だなと思ったりもした。
アトピーだってやっぱり春には悪化して、日に当たるのさえ辛かったけれど、土を触っていると癒される感じがして、なんとなく畑には出続けた。

ぐるっと1年回って2年目のことだったと思う。

昨年全く発芽しなかった子を発芽させられたとき。
たくさんの芽が揃って、こちらを見ているとき。
売っているような野菜がつくれたとき。
夫がつくった芋が最高に美味しかったとき。

いつも畑はわたしを褒めてくれている。

ちゃんとお水をくれてありがとう。
雑草をやっつけてくれてありがとう。
管理バッチリだったよありがとう。
美味しく食べてくれてありがとう。

畑はとても、優しいのだ。


2016年は5月にムスメが生まれたので、その春はお腹が大きくて何もできなかった。本当に手伝い程度に農作業を暇つぶしにしていると、もしかして家にいてもできる仕事って、農業ではいくらでもあるのでは?と当たり前のことに気がついた。

その年はおじいちゃんたちがやっている方の美しい家庭菜園から野菜をもらってきては、ムスメの離乳食にした。
農業やってるとめちゃくちゃ豊かなのでは?と知った。

どんな農作業をしても褒められた。
準備万端にお膳立てされてトラクターに乗っただけで、ご近所さんから称賛された。
義実家はいつもわたしに「いいお嫁さんが来てくれた」と言って感謝してくれた。

気分が乗らなくてバイトをサボって里芋の袋詰めをしていたら、気づいたら2万円分の商品を作っていたことがあった。
手を動かしていれば売り上げをあげられることを知った。

8年目の今では春の苗床に1分いるだけでメンタルが回復する。
水をやって、虫や雑草をやっつけて、ふうと一息つけば「ありがとうね〜!」ってきこえてくる。

一つ一つ、全ての作業と経験が、ちいさな自己肯定感を育み、そして土台を作っていってくれる感覚。
ふかふかの布団に包まれている空豆みたいな気持ちで、朝を迎えられるようになったのは農作業を始めてから5回目の春だったっけ。

わたしが思うに、農業をやるからうつ病が治るわけではなくて
ハタケがわたしたちを育んでくれて、自分で立てるだけの体幹を鍛えてくれるのだと思う。

微細な変化も感じることのできるその感性が、強ければ強いほどその効果が大きいからきっと
今しんどいひとほど効くと思うんだよなあ。

ライター/小池菜摘