2022/02/11
会計士から農業の世界へ。まっすぐな道ではないけれど、今がわたしにとっての飛び込みどき【畑の魅力伝道師 木田さち奈】
こんにちは。今月のテーマ「畑と会社員」でコラムを書かせていただくことになりました、木田さち奈です。今回は、20代の間ずっと会社員として東京でオフィスワークをしてきたわたしが、なぜ農業の世界に飛び込むことに決めたのかをお話ししたいと思います。
安定か挑戦か。どちらが正解?
わたしの父は、定年まで地方公務員として勤め上げました。母は、40代で一念発起して弁護士を志し、資格を取得したうえで、今は自分の事務所を開いています。
ずっと安定して勤め人をすることと、年齢関係なくやりたいことに挑戦し続けること。どちらが正解ということはないですが、わたし自身は小さいころから安定こそ良いと信じて「絶対に母のようにはならないぞ」と思っていました。一度決めた道は続けるべき、継続して稼ぐことこそ立派なことだ、と思っていたのです。
今までの人生で2つ、大きな進路選択をしました。一つは、東京大学に入ること。特に学びたい学問があるわけでも、将来就きたい職業があるわけでもなかったので、学歴を高くしておくことによって将来の選択肢を少しでも広げておきたいと考えたのです。
もう一つは、公認会計士になること。これも同じような考えで決めたことです。まだ働いた経験もなく、社会人としてうまくやっていく自信もなかったわたしは、とにかく少しでも安心できる、正解のように見える道を選びたかったのだと思います。
勉強していた期間も含めると約10年間、公認会計士として歩んできました。直近の2年半ほどは食品宅配の会社で経理として働きながら、社内外で、食や農業にかかわる人に触れ、学び、考えを深めました。
この時間は、これからの自分自身の人生を考えるうえで大きな契機となりました。もっと農業にどっぷりとかかわりたい気持ちが大きくなり、昨年2021年の12月末に会社を退職し、今は、次の道を模索しています。
興味はあるのに、ずっとぐるぐる
昔から、食や農業に対して、なんとなく興味をもっていました。とりわけ、大学に進学して一人暮らしを始めたことは、わたしの「食」に関する価値観を大きく変えるできごとでした。
母は、子どもたちのために栄養のバランスを考えつつ、一日三食をきちんと用意してくれる人でした。そして当時のわたしは、それを当たり前のものとして受け止めていました。だから、上京してすぐに、わたしは途方に暮れてしまいました。
一日三食を欠かさず用意することは、それがたとえ一人分であったとしても、いかに大変か。「食」というものが、わたしたちの生活にとってなくてはならないものだということを、改めて思い知らされました。
ただ、食や農業に興味はあるものの、それらに対して自分がしたいことは何なのか、どういうかかわり方ができるのかは、いつまでたっても分からないままでした。
たとえば大学で学部選択をするとき、わたしは農学部も第2志望として出してはいたのですが、結局は、(文科二類に入学した人たちの大部分がそうするように)そのまま経済学部に進学しました。また、転職するとき、農業経営を学ぶ学校に行くことも一つの選択肢として考えたのですが、結局その道は選びませんでした。
常に「田舎に帰りたい」という思いももっていたものの、その選択肢に飛び込むことはなく、10年以上東京で過ごしてきました。
海外へのあこがれと、農業を学ぶこと
あるとき、知り合いから、いくつもの国で暮らしてきた過去、そのときどきでいくつかの言語を身につけ、いろんな会社で働いてきたことについて聞く機会がありました。
その中では、大変なことも人一倍あったに違いありません。それでも悩むそぶりは一切見せず、ただただいつもご機嫌で、楽しそうにしています。そんな生き方を、わたしもしたい。そんな風に強くて優しい人に、わたしもなりたいなと思いました。
それから間もなくして、農業関連の勉強会でフードテックについて学ぶ機会がありました。そこでアメリカのフードテック企業の躍進を目の当たりにし、わたしはいてもたってもいられなくなりました。
とにかくアメリカに行きたい。新しい技術の出現を間近で見てみたい。きっとあの知り合いの影響も受けていて、その人と同じようなこと、つまり、英語を身につけて海外で暮らすようなことが自分にもできるのか、試してみたくなったのだと思います。
アメリカで職を得るにはどうしたらいいのかと考えた結果、留学という選択肢もあることを知りました。以前、別の文脈で留学や海外駐在を考えたことがあったわたしにとって、「アメリカで農業を学ぶこと」は、とても魅力的な選択肢に見えました。
やりたいこと、ぜんぶ欲張る
「田舎に帰りたい」「農業や食にかかわりたい」「海外に住んでみたい」という、幾度となく現れては消えてを繰り返していたわたしの望みは、「アメリカに留学をして農業を学ぶ。その後、田舎に戻って農業法人を立ち上げる」という夢に変換されました。
その夢に向かうにあたり、これ以上、会社員生活と両立をしていくのは不可能だと感じたため、2021年の年末に会社を退職しました。
今、わたしの最終的な目標は、日本で農業法人を立ち上げることです。そして「稼げる農業」を実現したいです。農業に興味はあるのにどうしても一歩が踏み出せなかったわたしみたいな人に対して、十分な給料を支払い、きちんと休日も確保して、都会の会社員と同じようなイメージで、農業に従事するという選択肢を提供できたらと思います。
そのためにも、機械や技術、データを活用して、たとえば、体力、経験の少ない人や外国人労働者など、誰もが農業生産をできるようにしたいです。これから学ばなければいけないことがたくさんあります。
引き寄せられたように感じたタイミングこそが、自分にとっての飛び込みどき
思えば、小さいころに「母のようにはなりたくない」と強く思っていたのは、自分も母のような人生を歩みそうな予感があったからかもしれません。どこかのタイミングで、今まで積み上げてきたものを一旦まるっと横において、いきなり違う夢を語りだすような、そんな人生を送る予感がして怖かったのだと思います。
本当にこの道を選んでよかったのか、正直なところ、よくわかりません。でも、そのときどきで影響を受けた会社も、人も、できごとも、すべて偶然ではないと思います。
それに、「田舎に帰りたい」「農業にかかわりたい」と何度も口では言いながら、本格的な行動には移さずにきた自分と、そろそろお別れしたいなと思っていたことは確かです。
せっかくなのでこの機会に、新しい世界に飛び込んでみようと思います。飛び込んでしまえば、何かしらの答えは見えてくるでしょう。そしてできれば、楽しそうにご機嫌に、(あのとき話をした知り合いみたいに、)今を進んでいきたいと思います。