2020/05/20
都心会社員から山間部で家庭菜園を楽しむライターへ。「この生活をずっとは続けられない」心の声にいつ答える?【やなぎさわまどか】
※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。
このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。
本日お話をお伺いするのは神奈川県の都市部(横浜)から山間部(津久井)に移住し、自営でライター・編集・翻訳マネジメントの仕事をしている、やなぎさわまどかさん。
食・農・環境課題を執筆テーマとするまどかさんにとって、事務所兼自宅前の家庭菜園に日々携わる暮らしが、仕事との相乗効果を生んでいるそうです。しかし現在の暮らしにたどり着く前は、都心のコンクリートの上を毎日ハイヒールで闊歩し、仕事に追われる会社員でした。
一見真逆のように見えるキャリアに至る背景には一体何があったのでしょうか。
鎮痛剤をお守りのように持ち歩いた会社員時代
ハタケト:まどかさんは、食を大事にした暮らしをしていると伺っていますが、会社員時代から食は大事にされていたのでしょうか?
まどかさん:気にはしていましたが実践がともなわずにいました。昼も夜も会社の無機質なデスクで食べる日があったりして、食べながら「なんか餌みたい…」と落ち込むこともありましたね。
ハタケト:餌…でも言いたいことはわかる気もします。
まどかさん:どうしても仕事中心の生活だったので、食の優先度が低かったんですよね。夜中に帰ってきて、夕飯を抜いたり、近くにあるジャンクフードで済ませることも多かったです。それよりも時間があれば仕事の資料やスキルアップの本を読むといった感じで、どちらかといえば必死で自己啓発を優先していました。
ハタケト:仕事に打ち込むあまり食を疎かにしてしまう感覚、身に覚えがあります。
まどかさん:ただ、20代後半になってからは、体調不良に悩まされることが増えたんです。ひどい偏頭痛・眼精疲労・冷え性・生理痛は脂汗をかいて道路にうずくまったり救急車に乗ったこともあります。お守りのように常備していた鎮痛剤を飲んで、ごまかしながら仕事をしていました。
休みにくいし、そうするしかないと思い込んでいたんですよね。
無理なく楽しめる範囲からスタート。気づけば体調不良とサヨナラ
まどかさん:でも、心の奥では「薬を飲むのはその場しのぎでしかない、この生活をずっとは続けられない」とわかっていたんです。
あるとき、「もう薬に頼る生活は卒業したい」と根本的な解決をしようと考えたんです。それで食に関する本を読み、食生活の改善を始めました。仕事の忙しさは変わらなかったので、時間が掛からないことを、できる範囲から始めました。調味料を無添加にしたり、オーガニックの野菜に切り替えたり。
発酵食品も、今はおいしくて単純に大好きですが、この頃は意図的に取り入れていた気がします。当時、ウエダ家の天然酵母パンの本にもハマって、りんご酵母を育て始めたりしてました。ぷくぷくかわいくて楽しめましたね。
まどかさん:発酵食品って、時短で健康的でおいしい、便利アイテムだと思うんです。他にも精進料理、ベジタリアン、グルテンフリー、マクロビオティックなど、色々試しながら勉強して、食と自分の体の関係性が理解できはじめました。わたしの体が必要としているのは、自分が育った食生活だったんです。
ハタケト:どんな食生活で育ちましたか?
まどかさん:10代後半で実家を出るまではずっと、母の家庭料理が中心の食生活でした。母は茨城の鹿嶋市出身で、旬の食材を調理する習慣が強く、例えば冷凍食品とかレトルトとか、母自身が食べ慣れていないものはそもそも家になかったんです。
それを思い出して、旬の食材を使った料理を意識して食べるようになり、2年くらい経つ頃には、気づけば体調不良も気にならなくなっていました。花粉症も冷え性も生理痛も今でもほとんど気になりません。
ハタケト:食を通して自分を大事にすることに成功したんですね。
仕事最優先の暮らしから、自分を大事にする暮らしへ
ハタケト:仕事面では、会社勤めから独立するまでにどんな経緯がありましたか?
まどかさん:小さい頃から環境問題には関心があって、会社員時代も環境に関するイベントやNPOに参加したりしていました。しかし会社に戻れば、環境負荷の大きな事業を行う企業も大切なクライアントのひとつだったりして、「環境に良くない」と思う気持ちを「仕事だから仕方ない」と押し殺すようなときもありました。
それが、東日本大震災と、福島第一原発事故により、仕事であっても環境に良くないことを推進する事業に賛同するような自己矛盾に耐えられなくなりました。
まどかさん:貫きたい信念と仕事との間で頭を悩ませた結果、わたしが生きるために必要なものは、毎月の固定の給料ではなく、健康な体と暮らしだという思いに至りました。
環境問題って大人が積み重ねてきた選択の結果だと思うんです。わたしは大人のひとりとして、心から賛同できる選択を積み重ねていきたい。当時、責任者として担当していたプロジェクトの節目までは勤め切りたかったので、震災から2年以上掛かりましたが、退職する決心をしました。
ハタケト:震災から退職までの間は、独立する準備などもされましたか?
まどかさん:書くことには興味があったので、できる範囲で勉強会に出たり、ボランティアで個人的に仕事を受け始めました。東日本大震災の支援活動で様々な主張と触れあい、言葉の重要性を強く感じたのもこの頃です。
同時に、環境負荷の少ない暮らしを考えて、生活をダウンサイジングするように努めました。フードマイレージ(食の輸送による環境負荷)を学び、地産地消やプランターで家庭菜園も始めました。会社の後に農業系の講座やセミナーにも参加して、夢中でしたね。
興味のあることと深く関わることによって、少しずつ、食・農・環境・社会課題に関する仕事の依頼をいただくようになりました。今では自分の信念に添った内容の仕事をさせてもらえているので、賛同できない仕事に関わるストレスが生まれなくなりましたね。
ハタケト:まどかさんが「大事にしたいこと」が仕事に結びつくようになったんですね。
「小さな声」に少しずつ歩み寄った先に願った暮らしはあった
ハタケト:家庭菜園を始めた頃、まどかさんは会社勤めを続けていたようですが、どのように家庭菜園に取り組んでいたのでしょうか?
まどかさん:はじめは横浜の自宅でベランダ菜園から。そのあとご縁があって、今住んでいる神奈川県の津久井で畑を借りて、週末に通うようになりました。しばらくして畑の近くに格安の1Kアパートを借り、横浜との2拠点生活をするようになりました。
2年くらいその状態でしたが、夫の仕事もひと段落したタイミングで、ちょうどいい一軒家の賃貸物件を見つけたので、今の家に引っ越しました。ここに来て初めて、家の目の前で家庭菜園ができるようになったんです。
ハタケト:自分に馴染む暮らしに少しずつ近づいていったんですね。仕事面や生活面にも変化はありましたか?
まどかさん:仕事とプライベートのボーダーが曖昧になったことでしょうか。翌日が雨になりそうだから、今日の昼間はタネをまこうとか、暮らしの中に仕事がある感覚です。ほとんどWEB会議なので、ギリギリまで大根を干してから出席することもあります。
あと、会社員時代に「ストレス軽減」や「集中力アップ」という目的でしていた瞑想やワークは自然としなくなりました。多分ですが、今の自分には草取りやぬか床の手入れをしている時間がちょうどいい瞑想の時間になってる気がします。暮らしを整えることが仕事の質も向上させてくれているのかもしれません。
ハタケト:仕事とプライベートはきっちり分けるのが全てと思っていたので、心地いい曖昧加減があるとは目から鱗です!
まどかさん:今は自分が「大事にしたい」と思うものをしっかり大事にできていることが自信に繋がっています。自分で自分のことを認めてあげられると精神的な不安もなくなりますよね。
ハタケト:どうしたら自分にとって「大事にしたい」と思えるものに気付けると思いますか?
まどかさん:わたしの場合は、仕事も暮らしも「こうあるべき」といった思い込みから離れられたのが大きかったです。今振り返ってみると、心の奥に抑え込んでる「小さな声」に寄り添うことが大事だったんだと思います。「薬に頼った生活を続けていいの?」とか「環境負荷が大きくてもこの仕事ずっと続けられるの?」という声を、実はずっと出していたのに、自分で聞こえないふりをしていたんですね。
正直、自営になるなんて思ってもみなかったです。フリーランスになったら1ヶ月で死んじゃうと思ってましたし(笑)。ただ、やってみたらありがたいことになんとか6年経ちました。
周りと比べたり、思い通りにできない自分を責めたり、焦る必要もまったくなかったと思います。ひとり1人、大事にしたいものは違いますから。自分の「小さな声」に耳を傾けて、歩み寄る。手応えを感じたら、もう一歩進める。地味ですが、その繰り返しですよね。
(インタビューはここまで)
都心の会社員から山間部に暮らすライターに。一見大きなキャリアチェンジのように見えて、まどかさんが自身の「本当にこれでいいの?」という小さな声に寄り沿いながら築いてきたキャリアでした。あなたの中に抑え込んでいる小さな声に耳を傾けてみませんか?きっと理想の暮らしのヒントを教えてくれるはず。
ハタケトでは毎月第4週の木曜日にまどかさんのコラムを配信しています。家庭菜園を楽しむ暮らしの様子を是非チェックしてくださいね。