2020/03/20
季節が巡る、暮らしの旅 〜序章〜【畑の魅力伝道師 石川たえこ】
このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。
はじめまして、石川たえこです。わたしは現在、長野県の南部、伊那谷(いなだに)エリアの飯島町(いいじままち)という小さな町で暮らしています。銀行員生活を経て、27歳で500日間の世界一周の旅へ。その後、ライター、編集をナリワイとしながら、30歳で東京から移住を決意。現在もリモートワークで東京の仕事をしたり、地元のローカルな仕事をしたりしています。また今年の春には、古民家一棟貸しの宿「nagare」を開業予定です。
横浜で生まれ、横浜で育ち、30歳まで都心部での生活が当たり前の暮らしを送ってきたわたしは、靴はヒールが基本、スニーカーさえ1足も持っていなかったような都会っ子でした。今回、このコラムではわたしが田舎暮らしをはじめて、感じたことをありのままに書いていければと思っています。特に秀でた才能やセンスがあるわけではない平凡ななわたしが、移住をして暮らしを楽しんでいる様子が少しでも伝われば幸いです。
暖冬の今年は、いつもよりちょっとだけ早く、梅の花が咲き始め、この町にも春の気配が訪れてきました。この連載はそんな冬の終わりからはじまります。
満たされない「なにか」を探していた20代
大学を卒業してから、銀行員として社会人生活をスタートさせたわたしは、職場の決まりごとに従いルーティーンをこなす日々にどこか満たされない「なにか」を探していたように思います。
なにかが足りない…
なにかが不満…
本当の居場所はここではないはず…
休日はひたすら予定を入れては、趣味に没頭してみたり、新しいコミュニティーに飛び込んでみたり、本当の自分の居場所やわたしを満たしてくれる「なにか」を探す日々を過ごしていました。
その「なにか」は見つけらないまま、時は経ち(その間に結婚をして世界一周をしたり、職種を変えたりいろいろとありましたが)、気がつけば移住をしてから今年で3度目の春を迎えようしています。今では「なにか」を探していたことすら忘れていたくらい、とても心が満たされています。
季節の巡りを感じる暮らし
移住をしてから、変わったことはたくさんあります。
例えば、朝、扉を開ける瞬間。扉を開けるとすぐに向かいの家が見える環境から、アルプス山脈と畑が見渡せる環境になりました。ただそれだけで、気持ちのいい朝を迎えられるようになった気がします。
それから聞こえてくる音も私にとっては大きな変化。車のエンジン音から、鳥のさえずりや水路を流れる水の音、山から降りてくる風の音に。たまに聞こえてくるおばあちゃんたちの会話も心地よく感じています。
今日も、お隣さんは夫婦揃って桜の木の剪定中。この地域では春を迎える準備がゆっくりと始まっています。朝晩はまだ冬の気配が残っていますが、気がつけば梅の花は満開です。
1ヶ月後には近所のそこかしこで田植えの準備もはじまり慌ただしくなる頃。わたしも、味噌作りや畑の土作り、庭木の剪定に山菜採り・・・と今では春を直前にやりたいことが盛りだくさんです。
この、春が始まる待ち遠しさも、わたしにとってはとても新鮮。こうして季節の巡りを周りの景色や空気、自然から感じるようになったのは田舎暮らしを始めてからのことです。
身近な暮らしに小さな幸せはあった
あの頃は、満たされない「なにか」を探しに意識が「外」に向いていたように思います。それが、移住をしてからは、身近な「内」にある日々の小さな出来事に意識が向くようになりました。
自家製の味噌で食べる味噌汁がなにより美味しいこと。
農家さんからいただく旬のフルーツの瑞々しさに感動したこと。
畑で採れすぎた野菜で作る保存食作りに苦戦したこと。
決して、近所のおばあちゃんたちのような丁寧な暮らしとは程遠い暮らしを送っていますが、それでも田舎暮らしをはじめてから、身の回りの食や暮らしに関わる時間が圧倒的に増えたの大きな変化です。
今までは周りの人や出来事ばかりを気にしていたけれど、日々の暮らしに意識を向けるようになってからは、自分自身や家族のことを考える時間が増えた気がします。心を満たすには、暮らしとの向き合い方が、とても大切なのかもしれません。
それから、今まで気に留めていなかった暮らしに目を向けると、とても奥が深いことにも気がつきました。
次回以降、このコラムでは私自身が学びたい、四季折々、近所のおばあちゃんたちが当たり前のようにおこなう、昔ながらの季節の手しごとや暮らしの知恵を教わりながら、これからの暮らしに取り入れたいエッセンスを皆さんにお届けできたらと思っています。それではまた。