2020/03/04
畑の中であがる、「いのちの解像度」のおはなし【 畑の魅力伝道師 小池菜摘 】
※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。
このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。
岐阜県中津川(なかつがわ)市の写真家百姓で、Koike lab.代表の小池菜摘(こいけなつみ)です。この度ハタケトの畑の魅力伝道師を拝命し、今月からコラムをお届けすることになりました。
魅力伝道師の中では現在唯一の農家。畑のそばに生きる人間として、何がお伝えできるかなあなんてずっと考えながら今日も芋を愛でています。
ハタケト、今。
こちらの2月の畑は、例年色がないのだけれど、今年は暖冬の恩恵で鮮やか。
生まれ故郷の大阪で八百屋をやっている友達は「菜の花めっちゃ咲いてるし、なんならふきのとう出てるで」なぁんて言うわけで。
秋と、春がくっついちゃったね。
わたしたちが育てている飛騨・美濃伝統野菜「きくごぼう」は、もともと10月下旬〜11月にかけて収穫する作物だけれど、2019年は12月になるまで充分な霜が降りずに12月下旬〜1月にかけて収穫することに。
そして、2月に入ると咲くたんぽぽ、桜、梅。
んんん、ちょっとどうしちゃったのよ、と笑いながら花々に話しかけては
「どうにもこうにも、これは春やに」
とお返事がくる、そんな冬であろう今日を生きています。
自己肯定感ゼロだったわたしが、お金第一の価値観を捨てて人生変わった話
(2019.12.26配信)
あべなるみさんにね、このインタビューをしてもらったことで、包み隠さない自分の生い立ちがいろんな人に知ってもらえて。地域のひとや、旧友、家族。ありがたいことに、だいすきなツイッターのフォロワーさんたちにも。
あのときのわたしがどうだったかなんて、わたしはいちいち言葉にすることができなかったから、これはとても自我に対する解像度が上がるなあと感動しています。
というわけで、かくかくしかじかただの「農家の嫁」カテゴリだったわたしが、自発的に畑にハマり、今は日々の農作業と加工・梱包・配達・営業・販売・経理と労働時間といわれるところの約8割を畑についやし、最高にHAPPYな日々を送るようになるまでに起こった最大の発見と変化について、今日はお話しします。
光の透過率が高い場所で気づくこと
わたしが結婚の挨拶のために久しぶりに中津川市へきたのは2010年のことで、はじめてはそれよりもずっと前の1996年。
大阪の小学校の先生たちが、何を思ったか林間学校のアクティビティに「岐阜県中津川市の馬籠宿(まごめじゅく)からお隣長野県の妻籠宿(つまごじゅく)まで歩かせよう」たるものを選んだのだった(後にも先にもそんなことはなくて、わたしたちの年だけだったそうだから面白い)。
愛知県にある明治村というテーマパークからバスに乗って馬籠へ向かうところ、山を超えて向こう側にある空気の層に目を奪われた。
今でもはっきりと思い出せる、その透明の中に絡まった細い虹が数多踊っている様子を、必死に車窓ごしに写真を撮った。写ルンですだけが許可されていたからマイカメラを持ってこれず、大変に不満だった。
フィルムがちゃんとそれを捉えたのかが大変に不安だったので念の為5回シャッターを切った。結果、全部が白飛びしていて、写ルンですでそんなことありえない、ってわかる人ならわかってくれる話。
不思議な空気の層は徐々に近づいてきて、中にすっぽりとおさまったとき、思わず窓をあけた。ガラスが邪魔だった。先生にめちゃくちゃに怒られた。
馬籠に到着して我先にと降りて目を見開く。先生が怒鳴っている。タタタと石畳を走り登り、見晴らしのいい場所から山を見下ろす。
「なんて光の透過率の高い場所なの!」
恵那山を見下ろして発した、劇団仕込みの小学校5年生が精一杯の感動を表す為に選んだ言葉。
その日から12年ほど経って入社式で出会った同期に惚れて、結婚してみたら中津川の人だったって話は本当に、嘘みたいな本当の話で
わたしは孤独な移住初期の荒んだ心を、馬籠に通うことで癒した。
光の透過率が高い場所でいのちを眺めることは、生命に対する解像度を高め、理解を進ませる。
見えないものを感じるということ
冒頭わたしはさも花々の声が聞こえるかのように書いてみたりしたわけだけれど、いえいえそんなことはないわけで。
ただ、そう言う返事が来たかのように「感じる」と言うことが可能だと言うことを知った。
いのちの解像度が上がり、わたしの視点は変わった。
見るべきは瞳AF(オートフォーカス)のような世界ではないと言うこと。空気には層があり、いのちは塊で層を選んで存在するということ。
フォーカスリングを回してその層を選び取るのが、写真の撮り手の最大の選択だということ。
それは人間だって山々の木々や花々だって野菜だって雑草だって、なんなら害虫だっておんなじこと。
すべてのいのちが自分に感じさせるものに、大きいも小さいもなくて、どこに共感するかというだけのことだったりもする。
畑のそばに在る暮らしは日々その感度を高め、ギトギトの現代社会に染まったわたしをあっさりと野生に戻した。
いのちの解像度と暮らし
朝起きる。まず布団から出した手と鼻先に感じる温度と湿度で天気を知る
子を着替えさせる前に縁側に出て外気温を知り、今日の靴下を決める
まずは芋か、なければ土を触る。記憶にない数日中の天気と数字を照らし合わせる
芋の出荷をする。秋に堀って長期保存した芋は痛んでいる子もいる、声を聞いて選ぶ
カメラを手に取る。シャッターを切る、それはただの空だけれどいのちを感じることがある
ひとに会う。今日あなたから出ている水蒸気が美しいって話を呑み込みながら話をきく
虫の声がする。寒冷地の冬にあなたたちがそこにいるという事象の先をみる
家に帰る。キッチンに置かれたうちの子たちの状態をみて、食べたいものを思う
さて、3月。ちゃんとな春がくる。
ちょうどいま、わたしたちの暮らしが少し、揺らいでいる。
たのしみにしていたことも、行きたい場所も、見たい景色も、お預けかもしれない。
世界が、停滞して、未来がないように感じてさみしくなっている。
だいじょうぶ。
まずは素直に、生きよう。
美味しいものを、好きなものを、たくさん食べよう。
少し笑って、手を動かしたら、あしたがまたくるよ。すこしだけ、解像度の上がった世界がそこに。
里芋をきれいきれいしてお届けしたり、じゃがいもを植えたり、愛おしいひとたちの結婚式や卒業式やお宮参りの写真を撮ったり、里芋や落花生の定植準備にとりかかったりする、3月。
つぎの4月には農家が何を食べて毎日を生きているのか、を届けます。
元気に、またね。
Photo by Natsumi Koike
ライター/小池菜摘