ブランディングといえば、いわずと知れたあべなるみさん。shelikesの講師をはじめ、aiyueyoではブランドの助産師講座を創設、自身では「純化」を屋号に事業主のブランディングを行っている。

ブランディングの先駆者であるなるみさん。なるみさんがブランディングを志したきっかけから、なるみさんが提唱する「純化ブランディング」とは?なぜ「戦略家」ではなく「助産師」なのか?

また、純化のタグライン「いのちの解放を祝福する」に込められた思いとは。チャーミングさに魅了される人も多いなるみさんの等身大のブランドの助産師としての側面をインタビューにて深堀りました。

ブランディングの原点は、ハタケで感じた「魅力はすでにある」ということ

── ブランディングの世界に入ったきっかけを教えてください

新卒で入社した博報堂で、配属された部署がブランディングの専門のチームだったから、というのがきっかけです。同期が100人いる中で、ブランディング部署への配属は私1人だけでした。

なんで、私がこの部署に配属されたんだろう?と気になって人事の方に理由を聞いたら、「ずっと言ってたじゃん、ブランディングやりたいって!」と言われたんです。採用面接のときに「商品の作り手と使い手が対等にありがとうを交換していく、そんな世の中を作りたい」ということを一貫して言っていました。

入社してから初めてブランディングという言葉を知ったと思っていましたが、人事の方が私の発言を「ブランディングをやりたい」という想いに解釈してくれたのです。配属後は夢中になって修行をしたという感じです。

── なるみさんが提唱する純粋ブランディングの「純化」の原点はなんですか?

二つあって、一つは大学のときにハタケに通っていた中で、とにかく「魅力的なものはすでにある」と感じたことです。私は京大農学部を卒業していますが、特に農学部で勉強していると、やれ高齢化、低賃金、担い手不足など農業は課題だらけであることを教えられます。

かわいそうな農業界や、農家をどう救い上げるかみたいなモードになっていくんですが、少なくとも私が直接お会いした農家さんと過ごし、ご意見を聞いたりする中で、人として本当に尊敬できたり、ハタケの直売所を中心に広がる人間関係の中に幸せがあることを知りました。「ここにある」って思ったんですよ。もう魅力は十分にあるじゃんと。

大量生産、モノが溢れる世の中で、魅力は十分にある。あとは、価値を転換するだけだと思いました。魅力があるからこそ、それをどう伝えるか、誰に繋ぐか、その意味付けだけの問題です。

二つ目は、博報堂で体感したことです。作り手も、使い手(食べ手)もWin-Winであることは、博報堂ブランドデザインチームのプランニングでは当たり前でした。本来のブランディングは、作り手も使い手も対等に、お互いに価値を分かち合っていくものです。

ただ、ブランディングの旗を立てて個人で活動するようになってみると、局所的にブランディングの意味が解釈されていると感じるようになりました。

例えば、「高く売ってくれ」「高級にみせてくれ」みたいなことです。SNSも流行するなか、本来の自分ではなく、「作り込んでかっこいい世界観を作ればブランディングでしょ?」みたいな感じとか。意外と表面的なブランディングをみんなイメージしていることに気づきました。

「本来の魅力で作り手も使い手も手を繋ぐんだよ」ってことをあえて言わないといけないと感じ、何か別の言葉で表現できないかと考える中で「純化」という言葉が生まれました。

ブランディングってずっと続く活動なんです。背伸びしたところで、無理したらしんどくなっちゃいます。長く続くブランドは、等身大。事業の規模は関係なく、それは個人も企業も同じです。

自分が感じた怖さや勇気、全部受け止めた気持ちが「助産師に込められています

──なぜ「戦略家ではなく、「助産師」なのでしょうか?

博報堂にいた当時は、コンサル業しかしていなくて、ブランディングの知識や技術がある人間として、ブランド主さんのお手伝いをしていました。

ただ、TUMMYを始めたときに、ブランドを自分で作ったことがないのに、ブランド戦略家を名乗るのはちょっと嘘くさい気がして。それって本当なのかな?みたいな気持ちがあったんです。自分が喜ばれてきた経験や自信はあるけど、本当に寄り添えているのかは疑問としてありました。

そこで、2019年に起業しブランディングを仕事としはじめたタイミングで、自分の取り組みとしてキュン野菜専門店yasaiccoを始めました。野菜ちゃんにお顔をつけて売ってたんです。

ただ、リリースするときはすごく恥ずかしかったんです。私は野菜をすごいかわいいなと思っていましたし、yasaiccoはいのちの繋がりを感じる食体験、まさに愛食そのものなんです。野菜に心を寄せて食べたら食体験も豊かになると思っていました。

なのに、その活動がすごく辛くて。「こんな子供っぽいことやってるの?」「博報堂にいたのに?」 とか。実際に、「成功すると思ってんの?」みたいなことを言われたこともありました。自分の内側にある本当に好きなこと、大事に思ってることを外に出して誰かに否定されたらヘコむじゃないですか。だから本当に怖くて。リリース前の1週間は寝込んでました。

そんなことを自分で経験していく中で、やっぱり本当の自分”らしさ”でお商売するって勇気がいるし、殻を突破するのって大変だなって思ったんですよ。

だから、ブランドを作るって、いのちがけの出産じゃないけど、それぐらい簡単じゃないことだと思います。

特に私は、農家さんと寄り添っていきたいと思ってきました。農業って基本的には生産物を市場に出荷するので、私がお手伝いする方々は、自分のこだわりで初めて自分の名前で売ってみたい、オンラインショップを作りたいみたいな人ばかりです。

今までブランドがなかったところに、ブランドをゼロから生むお客さんがほとんどです。みんなやっぱりすごいドキドキしながら、初めて自分の心の中を本当に見える形にするっていう取り組みをするわけなんですよね。

みんな本当に勇気を出しています。その気持ちに対して本当に寄り添って殻を破る、みたいなところは戦略家のように高くとまっている感じではありません。自分が体験したからこそ感じたこの怖さや勇気があるからこそ、「全部受け止めて一緒にやるよ」っていう気持ちが「助産師」には込められています。

純化=「純度100%のらしさを生み出す」

── 純化=「純度100%のらしさを生み出すとはどういうことでしょうか?

その人が本来持っている思いや特性を届けたい相手に伝え両想いになっていくこと、自分の中にある思いをあますことなく形にしていくイメージです。デザインや何らかの形に落とし込む過程も、「ここがあなたのらしさだよね」っていうものを大事にしています。何かを装うことがないように。その人らしさを通じてその人が届けたい相手と両想いになるために、クリエイティブも作るし、伴走もしています。

── 純度100%のらしさを生み出す過程で、なるみさん自身が大切にされてることは?

一緒に動いてくれるクリエイターさんに意見をしますが、私自身はデザインのプロではありません。ただ、ブランド主のらしさが表現できているかに対しては、一番ジャッジできると思っています。

例えばサイト制作は、わかりやすい事例です。サイトとはこうあるべきだっていうサイト理論もあります。もちろん取り入れるのは大事ですが、らしさが伝わりにくくなるってことも起こりえちゃう。一つ一つ定説や常識を破っていった先にブランドはできていきます。関わるクリエイターさんたちもその道のプロなのですが、今回の場合はこうよね、みたいなところをコミットし続けるようにしています。

── いいブランド作りってどういうところにありますか?

やっぱり、人それぞれの思いやらしさで事業や商品を作っているので、絶対的に唯一無二のものが生まれるんです。どういう点において唯一無二であるか、表現上のロジックとしても全部繋がっています。例えば、「なぜTUMMYなんですか?」とか聞かれて、「お腹からいのちに感動する暮らしを作る」という思いがあるからです。青色にも全部に理由があって、それがアイスブレイクになり、自分の本当の思いが言えることにも繋がっています。

まっさらなところで自分のビジョンを説明するのは、勇気がいりますよね。突然誰かわからない方に、「私はこういうビジョンの人間です」と言うのは緊張すると思います。思いやらしさを大切にしていると、身構えずとも向こうから、「なんでやってるんですか?」って聞かれたり、そもそも同じ空気感の人が近くに集まって来てくれたりします。気付いたら心地よく周りの人と想いも共有できてるし、価値観の近い人と手を繋げているみたいなことが実現できている。そういうのはいいブランディングかなって思います。

自分らしくやってくってなったときに、裸んぼで人前に立つってやっぱ恥ずかしいじゃないですか。だからその人がステージに立つときに最高の装いと最高のステージがあったら、もっと自信を持って前に出られると思うんです。

ブランディングって、適切なお洋服を選んで着せてあげている感じがあるんです。ステージに立ったときに、自分の髪の毛がきまっていると背筋が伸びますよね。ブランディングはそんな役割だなと思います。そのままの自分で堂々といられるための、TPOかもしれません。

本当の自分を解放する。チャンスもあるし、地球にも意味があること

── ブランディングではどのようにお相手に寄り添っているのですか?

ブランディングはめっちゃ面白いですよ。その人の変なところとか、譲れないところを知るのがめちゃくちゃ面白くって、大好きなんです。どう寄り添っているかっていうと、なんかただひたすらめっちゃ面白がってるっていう感じです。「いいじゃん!もっといけよ!!」みたいな感じです。

最初はyasaiccoをやるのも怖いぐらい、私自身もすごい鎧をまとって生きていた人間でした。でもいざやってみたら、今のaiyueyoを作っていく最初のコアメンバーである、ちえこーぬ、冴子さん、ゆっちさんと出会えました。自営業として軌道に乗る上でインビジョンという会社に出会ったことも大きな出来事でした。今のaiyeuyoを作ってくれたキープレイヤーは、ほぼ全員yasaiccoをやっている私だから関わりたいと思ってくれた人たちなんです。

実際にやってみたら、価値観の合う人たちが周りに集まりました。その体験を通じて自分が手を取りたいと思う人と生きていくことができることを確信したし、それがとっても幸せであるってことも理解しました。だからこそ、この体験をみんなもっとしたらいいという確信は、どんどん深まったっていう感じです。

世の中にとってもいい!っていう確信もあります。SNSもあって、自分でオンラインショップも簡単に開ける世の中ですよね。個人で商売するって簡単です。1つのマスメディアで作っている常識的な価値観じゃなく、いろんな価値観が生きていいって世の中にもなっていると思います。これからは心の豊かさの時代、むしろ時代に合ってるのだと思います。

幸せって思って日々ご機嫌に生きる人が増えることが、この地球にとっても良いことではないでしょうか。そういう意味でも、本当の自分を解放していける人が増えたらいい。みんなチャンスもあるし社会的意義も高いと思ってます。

私もみんなも特別。植物のいのち単位で意味がある

── なるみさんは昔から、ご自身を解放していらっしゃったんでしょうか?

とはいえ私戦ってたんですよね。元々は世の中に中指突き立ててるみたいな感じはありました。「表面的なことを整えるんじゃなくて、内側からの問題だろう」みたいな競争のエネルギーもありましたし、二項対立を生む気持ちもありました。

ただ今は、誰かと競争する、競争に勝つみたいなものは全て手放しました。本当の意味でそれぞれ居場所があるし、人には人の喜ばれる役割やできることがあると思っています。ナンバーワンじゃなくて、オンリーワン。

全員に絶対あると思います。競争し続けて辛くなるみたいなことじゃなくて、あなたのお庭がここだったねみたいなことが見つかったら嬉しいじゃないですか。

それを本当の意味で思えるようになりました。TUMMYを始めた当初は、「大企業をやめて起業したからこそこの人生を正解にしたい」とか、「社会のレールを降りて廃れていきたくはない」と戦う気持ちはありました。今は、「何者にもならなくてもいい」そう思うと心が軽くなったし、みんなのことに対しても全部祝福したいという気持ちでいます。

── 戦いを手放す怖さはなかったですか?

本当の意味で、自分には価値があって私は特別な人間だ。私は特別な人間なんだけど、全員特別な人間だってやっと理解できたんですよね。

自分には価値がないって思ってるときって、自分より駄目な人を探したりとか、あの人には負けてるとか、何となく上下を探したがると思います。それをやめたんです。「私ってもうすでに特別」と思えれば、上下は関係ない。 特別だから比べる必要がなくなったんですよね。みんな十分に特別な中で、自分は何をするかっていうふうに思うようになりました。

ハタケっていう場所は本当にいのちの縮図、学びの宝庫だと思います。密に種をまくと病気も蔓延することから、東京の一極集中って異常だよねとか。人の人生がどうなるかは何十年か経たないとわからないですが、植物はもっと早いスパンで学べます。トマトの苗が並んでて、芽を出すのが遅かった子がトマトにならないかって言われたら絶対トマトになる。ちっちゃい頃の成長速度の差なんて関係ない、ということもハタケで学べるんですよね。植物のいのち単位でもみんな意味があるんですよ。

「いのちの解放を祝福する は、自分の使命と存在意義を示した言葉

── 「いのちの解放を祝福する」に込めた意味を教えてください

とてもしっくりきています。らしさって言葉もありますが、らしさって言葉だけだと「いのち」ってことが伝わらない。いのちそのものを解放すれば、もう当然らしくなるっていうか、結果的にらしさが出ていくのだと思ってます。

この数年、特に経済成長してからの70年80年、いかに大量生産、大量消費されるか、量産で成功する時代でした。野菜だとわかりやすく規格を作る。学校教育もそうですよね。会社で文句言わず働いてくれるような理想人物を量産するみたいな。ちょっと厳しい言い方だけど、そういうふうなプログラムだと思います。それぞれのデコボコを無理矢理自分で直して、自分に鎧を着せて、ぴったり型にはめていくような感覚があると思うんです。

だからこそ、いのちはわざわざ解放するべき状態にあるのだと思います。それは野菜だろうが、人だろうが、画一的な型から解放して、元々持っていたデコボコのらしさを祝福していく。今の時代にあえてやる意義が高いことだし、それに取り組むことで時代も変わっていくと思っています。

「いのちの解放を祝福する」 は、まさに自分の使命、存在意義を示した言葉ですね。

── いのちが解放され祝福された先にはどんな未来がありますか?

次はもう本当にスーパーハッピーご機嫌時代だと思ってますよね。軽やかに今までの型をどんどん壊しながら、それぞれの魂が持ってきた目的を果たしたり、持って生まれた個性を存分に発揮しながら全体としてワークしていく未来。

個の多様性と全体としての統合みたいなのがセットで機能していくようになる世の中だと感じています。そんな世の中を作っていけるといいなと思っています。今だとパズルのピースが空いていたら、無理やりその人がその形に変形して、それによって世の中は回っています。求められる型にはまっていなかったはずのピースが、無理やり腕を伸ばしたりとかするからすごい疲れたりとかストレスが溜まったりする。

それぞれピースの形はすでにあるんです。それぞれのピースの形のまま創造していけば、すごい変な形になったりするかもしれません。想像もできないようなものができたりとかする。それって最高じゃないですか!いびつな形を面白いねって楽しむ時代になるんだと思います。綺麗な丸じゃなくていい。最終形態はすごいアートで、個々がセッションしていく時代だと思います!

みんなはすでにパズルのピース。ピースを輝く”居場所”に導くのが助産師

── 最後に、ブランドの助産師が生み出す価値って何でしょう?

ブランドの助産師が生み出す価値は、ブランド主が本当に信じられるっていう状態に導くこと。「パズルのピースの形を変えないで本当に居場所あるの?」って懐疑的でしょ。ほぼみんな。だから、まずは信じられるようにしてあげる。

輪郭を見つけて、「あなたはこんなに素敵な形だよね」って教えてあげる。そして、パズルのピースのままで居場所や意義を見つける。往々にしてまだお金とかがないと生きにくい世の中なので、このピースのままで価値を循環させ経済を回すにはこういうやり方あるよね、みたいなとこまでお繋ぎする。それを現実化するためのクリエイターたちに適切に動いてもらうように導いていく。

みんなすでにパズルのピースなんですよ。無理やり頑張ってピースになろうとしなくても。自分で変形しないとなると、本当に自分がはまって輝ける場所を見つけるのは難易度が高くなるかもしれません。だからその人が本当に求められる場所にはまるために、ブランディングがあるんです。だからブランディングは人の数だけ無数にあるんです。

そのままの形ではまる場所を見つけることがブランディングのお仕事をする醍醐味です。本当に両想いになれる相手や居場所を見つけていくお手伝いができれば、その人がその人のままパズルのピースのようにはまることができると思っています。私たちがするのはそういうお手伝いなんですよ。

この仕事にはすごい面白みがあって、そういうことがやりたいなって思う人は何か一緒にできたらいいなって思いますし、一緒にやりましょうという気持ちです。

(インタビューはここまで)

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インタビュアー/ライター ももえ

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