2020/06/24
暮らしの心地よい「あんばい」を梅仕事に学ぶ。【畑の魅力伝道師 やなぎさわ まどか】
※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。
皆さん、こんにちは。やなぎさわまどかです。家庭菜園を楽しんでいる方や、これから野菜づくりや自然食を始めてみたいとお考えの方など、日常の食卓を豊かにするアイディアを一緒におしゃべりする感覚でお読みいただけたら嬉しいです。
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6月ですね。
かつて会社員として朝7時台の電車で通勤していた頃は、梅雨の時期ほど苦手なものはありませんでした。歩いてるだけでヒールの中まで水が入るし、ストッキングには泥が跳ねるし、湿度のせいか体力まで奪われるようにヘトヘトになる始末。お恥ずかしながら、カラ梅雨の年はその問題の真意すら考えず、晴れてる方が助かる、なんて気持ちでいました。
今でもカラッと晴れた日が好きなことは変わりませんが、食生活が変わり、自然を身近にしていくことで、少しずつ梅雨に対する気持ちも変化し、今ではすっかり梅雨も大好きな季節になりました。
梅雨の楽しみのひとつが「梅仕事」。自宅の梅の木から「今年はどのくらい採れるかな」と様子を見て、いつ何をどのくらい仕込もうかと考えて準備する。この一連の季節の手仕事が、完成品を食すだけには収まりきらない、形容しがたいほど気持ちのいい充足感をもたらしてくれています。
今日は、梅仕事から学んだ暮らしの「あんばい」について、お伝えしようと思います。
そもそも「あんばい」ってなんだろう?
お風呂の温度や、お料理の塩加減、もしくは、仕事の段取り、体調、機械の調子といった様々な場面で「ちょうどいいバランス」が取れていることを「良いあんばい」と言ったりします。
あんばいは漢字で書くと「塩梅」であり、梅仕事に語源があるんだそうです。(諸説あるようですが)
栄養が豊富な梅は、古くから日本の人々に親しまれてきました。果実ですが熟しても甘くはならず、生のままは食べません。加熱したり、アルコールや塩、糖などで分解させることで保存効果も高まります。まだ未熟な青梅は梅酒やシロップに、黄色く完熟したら梅干しに、となんらかの加工が欠かせず、そのためにはまずは梅の木から収穫して、分別、洗浄、ヘタ取りやアク抜き…等々、いくつも作業工程を重ねるのが「梅仕事」です。
大人になってから自分の意思で梅干しを漬けたのは10数年前ですが、当時は、それなりの見た目をしたそこそこの梅干しが自分でつくれたことだけで精一杯。「塩梅」の意味なんぞ全くわかっていませんでした。
それが続けているうちに実感できるようになったのは、日常的に「梅酢」を活用できるようになってからです。
梅干しを作ったことがある方はご存知だと思いますが、梅は塩漬けにしたことで果汁が出てきます。塩を溶かした果汁は日増しにかさを増し、最終的にはすべての梅がこの水分に漬かることが大切なポイントで、これが最終的に梅酢になります。
もしかしたら、かつてのわたしと同じように「普段あんまりお料理にお酢を使わない」とか「酢のものが苦手」という方もいるかもしれませんが、あえて今日は、そんな方にこそ梅酢をオススメしたい気持ちでいます。
なぜならわたし自身は、今では梅酢のために梅干しを作っているくらい梅酢が好きになったからです。
当然ながら梅酢の成分は塩と梅だけ。穀物を醸造させてつくる酢酸のお酢とは違ういわば「梅の果実酢」。このシンプルなお酢は、梅干しの原型のようなものが作られていた奈良時代にはすでに存在していたそうで、まだ醤油や味噌などの発酵技術が確立されるずっと前から、過去の人たちの日常の調味料だったそうです。
おそらくこの、シンプルなものだけど日常の味付けを左右することから「塩梅」という言葉や概念が生まれたのでしょう。
我が家では梅酢を、みりんと1:1で合わせて酢飯にしたり(ツンとしないのでオススメです)、おむすびを握るとき手水にしたり(保存性が高まります)、醤油とオリーブオイルでドレッシングをつくるなど、料理や暮らしのいたるところで活用しています。
クエン酸が強く、抗ウイルス効果が高いとされているため、風邪の流行る時期にはうがい薬にしたり(水を張ったコップに垂らして使う。だいたい10倍に薄めるくらいのイメージ。万が一お子さんが飲みこんでも安心です)、コロナ禍の今は2倍くらいに薄めたものをスプレーボトルに入れて携帯し、うがいや手洗いがしづらい時にも口元や手元に使っています。
こうした使い方のハウツーは、個人の感覚的なものにも支えられていて、それこそが「塩梅」の正体だと感じることがあります。
梅仕事自体が、どのくらいの量まで自宅で保存スペースが確保できるのか、梅そのものも、買うのかもらうのか収穫に行くのか。SNSを通して受ける他者からの目線ではなく、自分自身が無理なく使える時間や体力も見極めた上で、何をどのくらい仕込むか、と見極めることがすでに塩梅。
使えないほど仕込んでも、梅酢だって永遠に保存できるものではありませんし、消化できなければ無駄になってしまいます。
また、いくら体に良いと言われてるとは言え、体調や体質は人それぞれ違うもので、まずは自分や家族の体が何を求めているかを探ることの方が先でしょう。
毎日せわしなく過ごしているなかで、もの言わぬ小さな果実が教えてくれるこうした感覚を思い出せること自体がまた塩梅だと思うのです。
何事も経験や先人の教えから、自分にちょうどいいバランスを学ぶことで見えてくるものかもしれません。
よかったらみなさんも、こうした「暮らしの塩梅」を意識してみてください。
セルフコントールしてる自分を実感できて、きっと心に余白が生まれてくると思います。
ライター/やなぎさわまどか