2026/01/20

愛食のある風景 — “ひと口の向こう側” を訪ねて

このコラムは、aiyueyoが毎月23日の「#愛食の日」にお届けしている連載 「愛食のある風景」 です。

食卓のひと口の向こう側にある、人やいのちのつながりをそっと見つめる——そんな時間を皆さんと一緒に味わえたらと思っています。

「作らなければ」ではなく、「作りたい」

これから、お母さんになるあなたへ。

今日は、何かを教えたいわけでも、正解を伝えたいわけでもありません。
ただ、ひとつの風景を、ここに置いてみたいと思います。

こんにちは。aiyueyoで主にメディアを担当しており、今年40歳を迎えるともよです。

はじめて母になったとき、わたしは「作らなければ」と思っていたわけではありませんでした。どちらかというと、自分で作りたい、という気持ちのほうが、ずっと強かったのだと思います。

それは義務ではなく、母になったら自然に芽生えるものだと、当たり前のように思い描いていた、言語化できないほどにわたしにとっては当たり前の願いでした。

生まれた瞬間から、食べられなかったという事実

2日かけてやっと会えた翌日、わたしたちのはじまりは、管だらけの姿だった

けれど、長女は生まれた瞬間から、口から食べることができませんでした。

いのちに関わるからです。

「食べる」という、 あまりにも当たり前だと思っていた行為が、この子にとっては、簡単に選べるものではありませんでした。

それでもわたしは、自分の子どもに手料理を作り、一緒に食卓を囲む風景を、未来のどこかに、自然なものとして置いていたのだと思います。

「ふつうの子育て」とは違う道

なんとか口から食べさせられないだろうかと、主治医や言語聴覚士(「話す・聞く・食べる」ことを、命の安全と一緒に支える専門職)に相談しました。
けれど、練習を始めると、娘はすぐに吐いてしまいました。とても苦しそうで、そのたびに心の中で「ごめんね」と繰り返していました。

どうしてわたしは、この子にとって苦しいことを願ってしまうのだろう。わたしは、自分自身を責めていたのだと思います。

それでも、娘が少しでも生きやすくなるようにと、わたしは学び続けました。それは、わたしが思い描いていた「ふつうの子育て」とは、まったく違う道でした。

途中で何度も諦めかけましたが、娘は、自分の体につながる栄養が入る管を、暇があれば口に運ぶのです。

亡くなる1年前半ほど前から、わたしは付き添い入院と短い退院期間を繰り返す日々を過ごしました。退院できたなら、できるだけ人と関わってほしい。娘は人が大好きだったからです。

それが、彼女にとって大きなリスクであることも、分かっていました。

ただ、有効な治療法はなく、いつ寿命が尽きてもおかしくない状況でした。
だからこそ、生きているかぎり、できることはやろう。
そう話し合い、夫とふたりで、目の前の時間を大切に重ねていきました。

それでも残ったもの、問いとしての愛食

食べられる形を、娘と一緒に探し続けた時間

娘が少しでも食べやすいようにと、なめらかで、飲み込みやすい食事を作るようになりました。

その願いは、本当に幸運なことに、叶いました。

亡くなる2ヶ月ほど前だったと思います。娘は管を外し、すべての食事を、口から食べられるようになったのです。
その姿を見たとき、わたしはただ、母として、本当にうれしかった。それだけでした。

それでも、何が正しかったのか分からなくなる日もありました。
これは自己満足だったのではないか。
そんな不安が、胸を離れないこともありました。

そんなわたしに、亡くなる直前、 娘は満面の笑みで伝えてくれました。

「自分の人生は、最高!」

迷いも、弱さも、醜さも含めて。
そのままのわたしを、この子は、まるごと受け取ってくれていたのだと思います。

ひまわりみたいで、太陽みたいで、母のわたしだけじゃなく、みんなを元気にする力を持った子でした

それでも、あの時間のあとに、わたしの中に残ったものがありました。
それは、これからお母さんお父さんになる人たちを、応援したい、という気持ちでした。

食は、
面倒なものでも、
重たい義務でもなくて、
本当は、
もっと楽しいものだということを、
知っていてほしい。

だから、
ここにひとつ、問いを置いてみたいと思います。

愛食とは、
ちゃんと作れているかどうかでも、
正しく食べさせられているかどうかでもなく、
そのひと口を通して、
あなた自身は何を受け取りたいのか。

今日、あなたが口にするひと口の向こう側に、どんな風景が広がっているでしょうか。

それが、わたしにとっての「愛食」です。

ライター/ともよ