2020/12/16

むすめとわたし。わたしたちは今日も支え合って生きている。【 畑の魅力伝道師 小池菜摘 】

※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

岐阜県中津川(なかつがわ)市の写真家百姓で、Koike lab.代表の小池菜摘(こいけ なつみ)です。畑の魅力伝道師の中では現在唯一の農家。畑に生かされている人間として、なにをお伝えできるかなあなんてずっと考えながら、今日もいのちを愛でています。

ハタケト、今。

冬だ、遅い冬が急にきた。
朝起きれば一面が真っ白に染まって、それでも日差しがあたたかくそれを溶かすものだから、あちらこちらで水蒸気が立ってわたしの目を細くさせる。
朝の寝ぼけ眼にまぶしい。

冬の光はどうしてこうもキラキラなのかと、中津川に暮らし始めてからそろそろ7年、毎年毎日に思う。
こんなことは大阪や東京に暮らしていたときは全く思うこともなく、気温の変化をただ不快なものとして感じていたのを思い出したりもするけれど、やっぱりすぐに感動に引き戻される。

ああ、今日も綺麗だ。

(農家さんの畑で人参をもらう。好きなだけ、とってけって。)

Koike lab.の畑はといえば、もう毎日が芋パラダイスで、今日も芋だったし、明日も芋だった。
ほんとうは霜がおりる前に堀りきりたいところなのだけれどちっとも間に合ってないから、今週はさつまいもと里芋に埋もれながら仕事をするしかない。

今のわたしの一番のたのしみは、はじめて育てた玉豊という干し芋専用のさつまいもを、ちゃんと干し芋にしてあげること。

寒いし晴れてるし、こりゃあきっと良いのができるな。

さつまいも好きのムスメが喜んでくれるかな、それがモチベーション。
ムスメにはちゃんとお礼がしたい。
お菓子を買い与えれば本人はとても嬉しそうだけれど、わたしがわたしのために彼女を思って作る何かが必要だった。
彼女がいなければ、わたしは彼女の休日に当たる仕事を到底こなしきれないからだ。

(出荷も手伝ってくれる。とても、楽しそうに。)

ハタケトでこどもの話をするのは初めてかもしれない。
こう見えても、わたしは母で、彼女はわたしのムスメだ。
ムスメのことはSNSで ちゃんまる と呼んでいる。だからここでもそうしたいと思う。

夢にまで見た親子のかたち

ちゃんまるを産んだのは2016年の春だった。
きっちり十月十日の妊娠生活を経て、丸4日間をかけて産んだ子だ。
とても痛かった。

(安心を、した)

ちゃんまるがちゃんとこの世に生まれるまでに、わたしは3回の流産を繰り返していた。

こどもがたくさん欲しい、という理由で24歳という現代に生きる人間としては早めの段階で結婚をしたわたしたちにとって、それは死にたいくらいに辛い経験の連続でしかなかった。

今思えば、あの子たちがお腹に来てはどこかへ行ってしまうあの間に、何度もシュミレーションをしてきたのだと思う。
思いつく限り最もしあわせな、親子のかたちを。

証券会社に復職した頃やってきた子は、わたしがストレスを感じない環境を求めて消えたし
大阪に戻った頃にやってきた子は、しばらくはいてくれたけれど、まだこいつ自立もしてないなって、消えたし
中津川に引っ越した頃にやってきた子は、そんな余所余所しい寂しそうな毎日でこどもいける?と疑って消えたし

わたしはその度に自分が生きる道をしあわせな親子のかたちになるように、自らの生き方の軌道修正を繰り返した。

・ストレスしかなくて、喜びの少ない仕事をしないこと
・母である前に一人の人間としてしっかりと立つ覚悟をすること
・こどもの故郷の未来には責任をもつ大人になること

母が恐怖を感じる日々に、こどもは希望を感じない。
尽く努力をして、尽く自分のHAPPYを手に入れるべく、努力を続けた。

あの、夢見たような笑い合ってじゃれあって、友達みたいだけどお互いが尊敬していて、いつも応援しあっているような
そんな親子のかたちを、つくることができる人間に成れるようにと。

(はじめてのツーショットがこれとは…母親の写真は少ない。笑)

こどもと仕事

わたしが自営業になったのは、そもそもこそだてをするためだった。
サラリーマンの激務で、都会の薄い壁で、自然に触れる場所のないコンクリートジャングルで、わたしはこそだてをする自信が本当になかった。

想定できる限りの最も窮屈な環境を抜け出して、夫の田舎へ帰ってみたものの、そこは売れないフリーランスフォトグラファー。
当時、仕事とこそだての両立がどうとかより、仕事がなかった。

ところが、ちゃんまるを出産してから、まちを歩けば話しかけられ、まちを知れば知るほど知り合いが増え、どんどんちゃんまるを介した仕事が増えていった。

その仕事は、すべてがちゃんまるのおかげで、ちゃんまるのためだった。
わたしひとりが生きるだけなら、畑の野菜を食べていれば問題がないのだから。

(仕事先の畑で)

たのしいプロ集団であること

わたしたちがプロ農家で、プロカメラマンであるように、ちゃんまるもまたプロ保育園児だ。生後4ヶ月から仕事のたびに一時保育を利用し、10ヶ月で0歳児入園した。

義実家の助けもあって、土曜保育だけはなんとか回避。土日の仕事はつれて歩く。
畑なら無論安全で、撮影は抱いていても対応できる内容か、子守をつけてもらえるなら連れて行った。

ただの売れないカメラマンだったわたしも、今ではおかげさまで色々な手仕事をいただけて、野菜やカメラや地域を提げてたのしく毎日を過ごしている。

4歳になったちゃんまるは自ら、納品する予定のクッキーを数えてくれたり、ラベル貼りや品出しをしてくれたり、5kgまでの荷物を運んでくれたり、わたしが忘れ物をすると指摘してくれるようになったりした。

休日、わたしはちゃんまるに予定を伝える。
「今日は今からクッキーのシール貼りとかしてコンビニに持って行って、そしたらおやつ買って、お買い物ドライブしようと思うんだけどどう?」

彼女は「やったー!」と心から笑う。

仕事ばかりで寂しい思いをさせているのかも、と罪悪感に苛まれることも正直あったけれど、今はちゃんまるがそうやって休日をわたしの隣でニコニコと過ごしていることが、とてもありがたい。

そして、それを見た地域のひとたちが「素晴らしい教育をしているね」と褒めてくださることも、また力になっている。

モノをつくったり、仕入れたりしてそれを販売するかたちまで仕上げて、そして愛を込めて必要としてくれるひとに届けて、誰かをしあわせにできる。
それが仕事なんだとしたら、ちゃんまるはもう、全部丸ごとできるから。

ここから先、ちゃんまるはどんどん持ち前の凝り性を発揮させて、たくさんのこだわりを持って、我が道を行くだろう。
今、ちゃんまるがわたしを支えてくれているのと同じように、その時わたしも、支えになるような存在に、なりたいとおもう。

ちゃんまるが在るから、わたしに仕事が在る。
わたしのこそだてと仕事に境界線はない。

朝と夜は必ず一緒にごはんを食べ、休日は一緒に仕事をしながら話し、時々思い切って一緒に寝てしまう夜は愛おしく、一つ屋根の下で別々のことをする時間だって尊い。
わたしたちはそれぞれの生活に、誇りを持って生きている。

ライター/小池菜摘