※畑のそばの、豊かな暮らし発掘メディア「ハタケト」は、2022年9月1日より愛食メディア「aiyueyo」にリニューアルしました。

このマガジンは「畑のそばに生きる様々な人」と「その暮らし」の紹介を通じて、皆さんと一緒に生き方の選択肢を再発掘していくメディアです。

南イタリア、プーリア州。日本で生まれ育ったあだちゆりえさんは今、200年以上続く農園で有機オリーブを育てています。大規模なオリーブ農園で地元の従業員の方々と共にオリーブを育てるだけでなく、本物のオリーブオイルを広める活動にも取り組んでいます。

今は農家という土地に強く紐づく生き方をしているゆりえさんですが、2年前に農家へ転身するまでは世界を自由に旅していました。自由な身から一転、悩み抜いた先に、今では自分だけの「地に足のついた自由を見つけた」と言います。異国の伝統ある地で走り続けているゆりえさんにお話を伺いました。

やっと見つけた自分の居場所、自由の国オーストラリアへ

ハタケト:ゆりえさんは海外生活が長いようですが、海外に興味をもったきっかけは何ですか?はじめはオーストラリアで働かれてたのですね。

ゆりえさん:海外というよりもオーストラリアに対して強い憧れがありました。子どものころから親に「将来オーストラリア人になる!」と宣言してたくらいです。その夢を叶えるために英語科の高校に進学し、大学では言語学を専攻しました。学生時代はバイトのお金をすべてオーストラリアにつぎ込み、学生生活の半分以上はオーストラリアにいましたね。大学卒業後すぐに移住し、現地でレストランマネジメントの仕事をしていました。

(移住後、専門学校で勉強するゆりえさん)

ハタケト:なぜそこまでオーストラリアに憧れがあったのでしょうか。

ゆりえさん:子どもの頃から「自由」が好きでした。歩きはじめた頃から親の手は握らずにどこか行って迷子放送の常連だったり、駅のホームで側転したり、なかなか大人に理解されない子どもでした(笑)。母も、いつかわたしが遠いところに行ってしまうだろうと思っていたようです。中学生のとき、地元浜松の文化交流プログラムで初めてオーストラリアに2週間滞在しました。そのときホームステイした家庭は、お母さんが働きに出て、お父さんが主夫として子育てと家事をしていて、それを見たときに自分の中の当たり前が崩れて衝撃を受けましたね。言葉は通じなかったのですが、「自由」を感じることができてとても楽しかったんです。

日本は歴史が深く、伝統を重んじて世間体を気にする国で窮屈に感じる時がありました。一方でオーストラリアは自由な国です。移民がたくさんいるので街を歩いてるだけで違う言語が聞こえるし、違う国の料理が楽しめる。何を着ても、どんな宗教を信仰しても、どんな考え方をしても個人を受け入れてくれる。だから臆することなく自分の意見を発言できるのです。自由が好きな私にとってオーストラリアはまさに自分が自分らしくいられる場所でした。

わたしたちの体は食べたものでできている

ハタケト:農業や食への興味はいつ頃からですか?

ゆりえさん:きっかけは仕事が忙しくて体調を崩したことです。オーストラリアでは、ホスピタリティに興味があり、ホテルやレストランで勉強しながら働いていました。新店舗のマネージャーを任されるようになり、ゼロから人を雇って組織を作ったり、商品開発をして市場開拓をしたりと必死に働く日々でしたね。当時の睡眠時間は3時間で、自宅はホテル状態。食事にもあまり気を遣うことなく、自炊はしないで毎日3食とも外食でした。朝食はカフェで買ったマフィン、昼食は職場で、夕食は仕事帰りに同僚と外食したり、テイクアウトで終わらせてました。

ある日、化学物質敏感症というアレルギー反応が出はじめてしまったんです。化学製品や発酵食品に対してアレルギーが出るようになり、食事や生活を変えざるを得なくなりました。症状はまだ軽い方でしたが、それでも食べられる物が限られ、タバコや空気汚染、あとはヘアスプレーに反応してしまうんです。大好きだった仕事もだんだん回らなくなり、仕事が思うようにできないストレスと自由に食べられないストレスが重なりとても苦しい時期でした。

その頃、友人からファーマーズマーケットに誘われて、オーガニックのフルーツや野菜の農家の方とお話したのがとても楽しかったんです。おすすめの調理法や、この野菜はこういう花を咲かせるんだよ、とかスーパーでは聞けないような話をたくさんしてくれました。

気がつけば毎週ファーマーズマーケットに通い、外食もせず家で調理するようになって、アレルギーも少しずつ良くなりました。そのとき、食べることと生きることは直結しているんだなと実感して、食について勉強するようになったんです。

飛び出すだけが自由を得る手段じゃない

ハタケト:その後、大好きなオーストラリアから離れて旅に出られたんですか?

ゆりえさん:体調を崩したあと自分の生活を見直して、一旦リセットしようと思い立ち、レストランの仕事をやめました。仕事をやめたあとの3ヶ月間、オーストラリアでWWOOF(※)に参加して、今のパートナーに出会ったんです。

彼はイタリア人で、世界各地を旅するデザイナーで、わたしも彼のような働き方に挑戦したくなりました。大好きなオーストラリアでしたが、翻訳業をしながら、彼と一緒に東南アジアを巡るうちに、東南アジアの魅力にすっかりはまりましたね。

ある日、彼は実家である200年続く農家を自分の代で終わらせたくない、という思いからイタリアに戻る決断をしました。わたし自身、語学を学ぶのが好きでしたし、新しい人生に挑戦しようかなと思い、軽い気持ちで彼と一緒にイタリアに行くことにしたんです。

(※WWOOF:ウーフ。イギリス発のNGOで、農作業体験を軸にした交流を目的にしている世界的取り組み。ホストは食事と寝る場所を提供し、参加者は労働力を提供する)

(東南アジアを旅行中、ベトナムのビーチでくつろぐゆりえさん)

ハタケト:それまで「自由」を追い求めてこられたけど、イタリアへ定住することに迷いはありませんでしたか?

ゆりえさん:迷いはなかったのですが、暮らし始めてみると、イタリアの生活には馴染めませんでした。自由な国で過ごしてきたわたしにとって、伝統を重んじるイタリアの文化は窮屈だったんです。例えば、村の中では個人ではなく、どこの家の誰の家族か親戚か、と見られる。イタリア人に、イタリアのこういうところは苦手だと伝えても理解されにくいし、相手に不快な思いをさせてしまうだけです。愚痴ばかりいう自分にも嫌気がさし、ストレスも重なり自分を見失いかけました。イタリアにいていいのか、幸せではないのにここにいる理由は何なのか。そのうち、うまくいかないのを自分自身のせいにするようにもなったんです。自分がだめな人間だから、イタリアの生活も楽しめないし、納得のいく人生を送れないんだ、と。

限界を感じて、ずっと行きたかったインドへ1ヶ月ほど行ってみることにしました。インドでは、同じように生きる上での息苦しさを感じてる人たちに会えたり、ヨガをして過ごすことができて、少しずつ癒されていきました。ただ、最終的に自分の苦しさを突破させてくれたのは、イタリアに残っているパートナーからのメッセージだったんです。

彼から「イタリアがそんなに嫌でも、きみは自分で自分の世界を作れる」と言われたんです。イタリアでイタリア人と働いたり生活するのが嫌なら自分の好きなものだけで城のように自分を囲めばいいよ、って。その言葉を聞いてハッとしました。

それまでわたしは息苦しい環境から飛び出すことによって「自由」を確保してきました。でも逃げなくても、自分次第で「自由」は作れるんだ、と始めて気づくことができたんです。この気づきを得て、イタリアに戻ったわたしは、自分で旅行サービスを立ち上げました。色んな地域、文化の方々と仕事ができると思ったからです。今はオリーブ農園の仕事や新型コロナウイルスの影響で旅行業からは離れていますが、自分の世界を築いてしまえばいいと気づいてからはイタリア生活も楽しめるようになりました。

(今はイタリア生活を楽しんでるゆりえさんとパートナーのリカルドさん)

透明性のある農家を目指して

ハタケト:ゆりえさんは昨年、クラウドファンディングに挑戦されていたと拝見しました。「透明性のある農家」という言葉をよく使われていますね。

ゆりえさん:インドにいる間に、自分が求めている自由の気づきを得ただけでなく、農家としてもどんな存在になりたいか、という夢にも気づくことができたんです。それが「透明性の高い農家になる」ことでした。

インドではカフェの隣で採れたオーガニック野菜を使った料理を提供する店が流行っていたんです。わたしも友人に誘われ何度か行ったのですが、実際に行ってみると、そのハタケの周りにはゴミが落ちていたり、近くに工場があったりして、言葉としてのオーガニックだけではなく、どんな環境で育てられたかを伝えることが大事だと痛感したんです。昔オーストラリアのファーマーズマーケットに通って農家さんの話を聞きながら楽しんだ食を思い出して、農家と直接つながることが一番健康に良いと思うようになりました。野菜を買う一人ひとりが、生産者どのように育ているのかを知った上でいただくのが一番自然で健康なのではないか、と。だからわたし自身が「透明性のある農家」になろうとと決めました。

オリーブオイルに関して言うと、いま日本のスーパーには安いものから高いものまで色々なオリーブオイルが出回ってますが、異国の地で作られたオリーブオイルがどのように出来ているのか明確になってないことも多いです。この現状を少しでも日本のみなさんに知ってもらいたいと思っています。

(ゆりえさんの作る、早摘みエクストラバージンオリーブオイル)

農家としての夢と自由。どちらも叶えていくわたしの生き方

ハタケト:今後はどのような目標がありますか。

ゆりえさん:透明性のある農家を目指しながら、ファームステイ事業に取り組みたいと思っています。いまはオリーブ農家の仕事がメインになっていますが、わたしの好きな旅と農業は繋がると思っています。

また、今後は、オリーブのオーナー制度を導入して、お客様にオリーブの成長を見守っていただきたいと考えています。お客様にご自身のオリーブの木を1本選んでいただいて、1年間わたしたちがお世話をします。定期的に木の状態やどんな肥料を使っているのかお伝えして、最後に実を収穫してオリーブオイルにしてお届けする内容です。オリーブは、365日育てる一方で、収穫して食べるのは一瞬なんですよね。だからこそ、オリーブオイルを買うだけでなく、生産段階から関わっていただくことで1年の重みを実感してほしい。そしていつかは実際に、わたしたちの農園を見学いただいプーリアやイタリア旅行を楽しんでもらえたらいいなと思っています。

ハタケト:今後もイタリアで挑戦を続けられるんですね。

ゆりえさん:正直、イタリアの永住は考えてなくて(笑)、老後は大好きな東南アジアで過ごしたいなと思っています。でもイタリアの地にオリーブ農家として軸足を持ちながら夢を叶えて、自由に生きていくことは全然できるはず。わたしが好きな異国の人、文化と触れ続ける生き方を続けながら、これからもオリーブ農家として色んな挑戦をしていきたいです。

(インタビューはここまで)

異国の地で自分らしくいられる環境を作りながら、夢に向かって挑戦し続けているゆりえさん。いまいる場所に馴染めなかったり、夢を追う途中で苦しくなってしまったり、そんな方にゆりえさんのメッセージは勇気を届けてくれたのではないでしょうか。どういう自分でありたいかの追求と、自分が人生を通じて成し遂げたいことを両立しているゆりえさんのこれからの挑戦が楽しみです。

ライター/なんしゅ 編集/やなぎさわ まどか

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INFORMATION

あだちゆりえ

あだちゆりえ

静岡県浜松市出身。大学卒業後オーストラリアへ移住し、レストランマネージャーとして働く。2015年に南イタリアのプーリア州に移住し、旅行業を立ち上げ後、オーガニックオリーブ農家へ転身。本物のオリーブオイルを届けるために活動中。